|容子経歴|容子日常生活|容子日記| |
|
|
|
|
|
【日記の原本】 |
|
第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める |
|
- 平成五年七月一日(木)
今日は、先週行けなかった歯科へ村松さんに連れて行ってもらった。すいている割には大分待たされてやっと診てもらつたが、今日も型を取っただけだった。先日も型を取ってもらったのに、やっぱり入れ歯は時間がかかるのかな。今日は、久し振りに、雨が上がり涼しくて気持ち良かったが、左の足首が夜中から痛くてあまり寝られなかった。
- 七月二日(金)
今日は、又、雨降り病院っへ行くのにタクシーを呼んだが四十五分程またされて着いたら十一時二十分だったが、まだ二,三人待っておられた。保木さんに久し振りにお会いした。大分ふっくらしたみたいで膝のサポーターがきつくてはまらないそうだ。次回は私は、腕と胸のレントゲンをとるよう言われた。
- 七月三日(土)
今日は、へルパーさんの高橋さんお休みだったので、希代子頼りにしているのに、なかなか動いてくれず私も今日は、調子が悪くぐったりしていたので、おばあさんもベッドで寝ていてもらった。しんどいとしゃべる元気もなくなるし、一日中頭がボーッとしている。
- 七月四日(日)
寿代は、朝早く車でラクロスの試合に出かけ、主人は午前中体振会合、午後テニス、希代子は午後、四条のバーゲンに出かけた。
- 七月五日(月)
昨夜、大雨だったのでヘルパーの伊藤さんが家に来て下さる時、五条より南の方は浸水したらしく、玄関がドロだらけになっている家があったと言っておられたが、全国的に大雨であちこちで浸水や土砂崩れの被害が出ている。普賢岳は、火砕流と土石流でダブルパンチで住民を痛めつけて、早く鎮まってと願わずにはいられない。
- 七月六日(火)
久し振りに太陽が顔を出し、二週間振りくらいにお布団を干して頂いたが、夕方には又雨が降って来た。
- 七月七日(水)
今日は七夕様だが、子供達が大きくなって、七夕飾りもしなくなると忘れてしまう。七夕は、網田の母の誕生日でもある。生きていたら八十才になったんだね、母の好物の甘い生菓子でも墓前にお供えしたいけど、長いことお墓参りにも行かずごめんなさい。令子ちゃんから電話あり、主人の病気とお金の苦労からは、逃れられない運命にあるみたい。それぞれみんな何か一つか二つは悩みを持って生きている、それが人生だから人生、何もかも受け入れて頑張らなくっちゃ。
- 七月八日(木)
今日、生理になった。最近は二十四、二十五周期になってきちっとあり、まだまだ上がりそうになく喜ぶべきか、悲しむべきか子宮の病気さえならなかったら、これぐらいは辛抱しなきゃ
- 七月九日(金)
夕方、西京都病院でおばあさんと一緒に入院していたという、堀江さんからどうしていますかと、御電話頂いた。ふれあいの里に入所している時も行って下さったらしい。弓子ちゃんと夕子ちゃんより、主人に夏用の涼しそうな帽子を送って来て下さった。
- 七月十日(土)
昨夜より、又、希代子は東京に遊びに行った。寿代は今日は休講なので家にいたが、たくさんの洗濯物や買い物で忙しく試験勉強もしなければなかないのでなるべく用を言いつけないよう、パジャマのままでいたら昨日電話下さった、堀江さんが来て下さり慌ててしまった。おばあさんのことがいつも気になって、お元気で何よりと親切な方だなあと感心した。おばあさんもわからない乍ら喜んでいた。
- 七月十一日(日)
今日は、雨は降らなかったが蒸し暑かった。夜十時過ぎに希代子帰宅。もっと早く帰って明日の為に、早く寝たらいいのにと言いたくなるが我慢した。
- 七月十二日(月)
今日も蒸し蒸しと暑く、頭も身体もボーッとする。これからしばらくは毎日こんな日が続くのだ。右手が折れてらか、やっぱり字が書きにくく長く書いていると肩や肘、手指が痛くなる。
- 七月十三日(火)
昨晩、十時十七分頃、北海号の南西沖で震度五か四の地震があり、すぐに津波が押し寄せて大被害になったらしい。奥尻島という所は津波と火災で半壊状態で亡くなった人、行方不明の人がたくさんいるらしい。つい最近釧路の方で大地震があったばかりなのに、世界中で天変地異が起こり、何かもっと大きなことがおきるのではないかと気味が悪い。
- 七月十四日(水)
北海道の地震は新しい情報が入る度、悲惨な状況でいえも船も家族も亡くした方達の事を考えると、本当に気の毒でなんとかして上げてと政府に頼むだけでなく、少しでも募金して役立てて頂きたい。夜、千葉の兄の所へ松前の大徳さんの親戚は大丈夫だったか聞いたら、松前は津波がなかったので大丈夫だったらしいが、棚からウイスキー等の商品が落ちたりして手にケガしたり、入れ歯が折れたりということはあったらしいが、不幸中の幸いだったと言っておられたらしいので安心した。手が痛い。
- 七月十五日(木)
今日は、湿気も少なく割と涼しかった。長覚寺様今日は、十時半前に来られたのでまだ用事ができてなくて慌ててしまった。希代子の会社の社長さんで、長覚寺さんの総代の横山さんの事を御聞きしたら、とてもお忙しい方でゆっくり家におられることはないらしい、お元気なお方だと思った。
- 七月十六日(金)
歯医者さんへ行くついでに、郵便局に連れて行ってもらい、北海道の南西沖地震の被災者の方へ義援金を一万円送らせて頂いた。少しでもお役に立てたら嬉しい。歯科は又歯型取っただけでこの次やっと入れ歯をはめて下さるそうだ。
- 七月十七日(土)
今日は、祇園祭の巡行の日なのにあいにくの雨だった。身体がしんどくてだらだらと洗濯物たたんでいたら、正勝兄さんと園子姉さんが来られた。三好さんのお母上の、初盆で来られたそうだ。御中元五万円と桃と三笠を頂いた。急だったので何も御土産がなく御供え一万円だけさせて頂いた。
- 七月十八日(日)
今日は、衆議員選挙の日で、昼から主人に連れて行ってもらった、希代子も正隆も行って、多分新生党とさきがけにいれたらしい、主人と私は自民党にいれたが日本新党の候補者がいたらそちらに入れたかった。今回はやはり新生党、日本新党、さきがけの新党に入れた人が多かったようだ、でも京都は革新系だから共産党が圧倒的に強い。
- 七月十九日(月)
今日はお天気の良い割にとても涼しく気持ち良かった。梅雨がまだ明けていないかららしいが、こんな日がッずくと助かるなあ。
- 七月二十日(火)
久し振りに、洋子から手紙が届き嬉かった。別に変ったこともなくなんでもない便りなのに忙しい中、思い出して書いてくれた事が何より嬉しい。
- 七月二十一日(水)
幸子ねえさんより、日頃の御礼にとマスカットと巨蜂頂いた。佐武さんより電話あり、御主人が入院中であまり外へも出られず淋しいのか、先日同様、結構長電話だった。佐武さんは、何という御病気かよくわからないが、足はブラブラで立てないし手も不自由だけど家事等は、なんとかこなしておられるそうで偉いなあと思う。子供さんがおられないので、私みたいに甘えられる人がいないから仕方がないと云っておられたが、近くにお母さんや妹さんがおられるのでいざという時は、助かっているそうだ。退院以来二年半以上、お会いしてない人もたくさんいて、お互い会いたいねと云い乍らみんな自由に、外出出来ない人ばかりでなかなか会えない。
- 七月二十二日(木)
梅雨はまだ上がっていないが今日は、梅雨明けのような良い天気で風はあったが暑かった。汗をかくとお尻がベタベタして下着の上げ下ろしがしにくく不便でしょうがない。何年も前から上げ下ろしには閉口しているので、何かいい方法がないかいろいろ考えてやってみたが、結局いい方法なくて困っている。介護用品とか身障者下着等のカタログにもこれはと思うようなものは一つもない、今流行のTバックみたいなのだったらいいかも知れが、あんなものはいている気がしない。
- 七月二十三日(金)
稔さんから、立て替えた漬物代とおばあさんへ十五万送って来て下さった。冬には二十万も送って下さったが、おばあさんにお金のいる事はないので預金したが、今回もそうさせてもらう由夜電話した。四日程休みがあったので本当は、京都へ帰るつもりらしかったが、腰痛で家でゆっくりしてるそうだ。東京は、殆んど雨降りで寒いくらいらしい、それでなおさら体調が悪いそうだが、温泉でも行ってゆっくり出来ると良いが、近所の温泉かサウナに行ってるらしい。
- 七月二十四日(土)
先週も土曜日しんどかったが、今日もしんどかった。
- 七月二十五日(日)
台風が来るという予報が見事はずれ。風はあったが朝からカンカン照りの暑い一日だった、でもまだ梅雨は上がってないらしい。夏だから暑いのは当たり前、暑い日もなければ作物はそだたないけど暑いと身体がだるい。
- 七月二十六日(月)
朝、主人は出か来る時しんどいしんどいと言い乍ら、出かけて心配だ。昨夜ちょつとお酒を飲みすぎたせいもあると思うが、それを言っても云う事を聞く人じゃないし、いつかお酒が原因で病気になりはしないか心配。
- 七月二十七日(火)
毎日蒸し風呂に入っているような、暑さが続いている。比留間雨が降らないだけましかも知れない。
- 七月二十八ひ(水)
最近汗かきになったのか、じっとしていても汗がじっとり出て来て、顔や首がチクチクしゅる。
- 七月二十九日(木)
歯科へ行って、やっと入れ歯を入れてもらった。奥歯二本を前の葉にかけてはめてあるのだがやはり違和感があってうっとうしい、二本ぐらいでもうっとうしのだから殆んど入れ歯の主人なんか慣れる迄、相当うっとおしかっただろうとやっとわかった。寝る前にはずさなきゃならないのがめんどうだ、それにしてももう歯科へかよわなくて良くなりほっとした。
- 七月三十日(金)
今日は、リハビリセンターに行く日で雨降りだったので早めにタクシーに電話したのに待てど暮らせど来ず、結局一時間二十分程待たされた。病院へ着いて右腕と肺のレントゲンをとってもらった所、腕は三月の時より良くなってしるし、肺もまあ大丈夫ということだったが、肩がピクピクと痛いと言ったが、皮膚を突き抜ける心配はなさそうだということでそのままだったので、この痛みは我慢しなくちゃならないのかと思うといやだなあ、血液検査もしてもらい、もし貧血であれば連絡して下さることになっている。
- 七月三十一日(土)
この頃、土曜日のなるとしんどくなる。夜中から足が痛かったが朝起きる時しんどかったら、案の定半日ぐったりしていた。
ページの最初へ
- 八月一日(日)
今朝主人は、愛宕山へ行った。本当は昨日が千日詣りだったのだが、今日は日曜日なので朝少しゆっくりしてから、八時半頃出て一時半頃帰って来た
- 八月二日(月)
今日は、雨が降ったりやんだりで少しだけ涼しかった。伊藤さんはお休みだったが、希代子は、生理休暇が月一度あるそうでお休みしたので助かった。
- 八月三日(火)
夜中からきつい雨降りだったが、昼間は雷が鳴ったりして大雨になったり小雨になったりで、一日中雨降りだった。
- 八月四日(水)
生理になって一週間程になるのでもうそろそろ終わる頃と思いきゃ、昨夕から量がぐっと増えて気分が悪くなって腰がだるい、更年期の症状なのか子宮筋腫か、いよいよ病院で診てもらわなくちゃ、気が重い。寿代は四,五,六日と九,十、十一日は保育園でバイトすることになった。
- 八月五日(木)
最近は涼しいので気持ちが良い。正勝兄さん宅へ漬物を送らせてもらったので御礼の電話頂いたら、あちらは寒いくらいで朝などストーブつけているとか。今年の夏はいったいどうなってるんだろう。
- 八月六日(金)
美智子叔母さんと福江叔母さんに、暑中見舞い出させてもらったので御礼の電話頂いた。美智子叔母さんは最近しんどいらしいが、福江叔母さんはお元気そうだゅた。
- 八月七日(土)
今日はもう立秋。夏らしい夏が来ないままもう秋。今年の夏は、異常気象に加えて災害が多く、鹿児島では土砂崩れ等で四十人程が亡くなられた。
- 八月八日(日)
朝、選挙に行った後、久し振りにお墓詣りに連れて行ってもらった。階段の下からしか拝めないが、長いこと行ってなかったので気が済んだ。日曜なのでお墓も結構混んでいたし車も混んでいた。希代子と寿代は陶器市へ行き、寿代はその足で琵琶湖の花火大会へ行った。
- 八月九日(月)
新しい細川内閣が成立した。政治のことはよくわからないが、連立政権というこれ迄にない政権のこれからのお手並み拝見というところ、早急の結論を要求せず見守っていくことも必要だと思う。
- 八月十日(火)
台風が次々九州方面をおそい、鹿児島や宮崎等土砂崩れ等で家が壊され死者も多数出て本当にお気の毒だと思う。いつも台風の通り道に、なって必ずと云っていい程被害が出る。京都は天災の少ない所で、今迄一度もそんな経験なしに来れたことは幸せだと思う。
- 八月十一日(水)
正勝兄さんより、和子ちゃんお結婚式の時の写真、三好厚子さんから母上の忌明けの時の記念写真を送って来て下さった。
- 八月十二日(木)
朝、長覚寺様よりお電話頂き総代で京阪セロハン社長の横山様急逝なさったとの事、入院されるとは聞いていたが、術後、急変して亡くなられるとは思ってもいず驚いた。希代子達社員もショックだったらしい。四時頃から希代子はお通夜の手伝いに出かけて、九時半頃帰って来た。
- 八月十三日(木)
今日から、お盆休みで正隆は家にいたが主人は、朝早くらから仕事に行き、一時からの横山様の御葬式に行く為、いったん家に帰って着替えて自転車で行き、帰って来てから又仕事場に行った。希代子も手伝いに十一時頃から行って三時頃帰って来たが、それから友達と久美浜へ泳ぎにいくとかで車で出かけたが、お天気が悪くなって来た。寿代は、菊香荘にバイトに行き六時頃帰って来た。君子叔母さんも手伝っておられお元気そうだった由、内祝いに折畳傘とパンストを頂いた。
- 八月十四日(土)
天気予報ではお盆は、晴れる筈だったのに夜中はどしゃ降り、日中も降ったりやんだりで希代子達は、泳げずがっかりしているだろう。 主人は仕事。寿代は菊香荘。
- 八月十五日(日)
今日も雨が降ったりやんだりで、はっきりしないお天気だった。長覚寺様が来られた時は、主人もいてくれたので助かった、尤もお盆に主がいるのは当たり前だが、横山さんのことでは長覚寺さんもまさかと驚かれたらしい、元気そうにしておられたが相当悪かったそうで、手術しようにも手遅れでそのまま逝かれららしい。典型的な仕事人間だったようだ、本人さんは最期まで充実した人生だったのかもしれない。夜、希代子帰宅。雨降りで十分程海で泳いだだけでさっぱりだったらしい。
- 八月十六日(月)
今日は私の四十五才のバースデー。希代子と寿代がポロシャツ様のピンクのブラウスをプレゼントしてくれた。夕方から寿代は、大文字の送り火を観に出かけたが七時半頃から雨足が強くなりあるのかどうかと思っていたらニュースで二十分繰り上げてあったらしいが、雨の為良く見えず早く消えてしまったらしい。
- 八月十七日(火)
時々激しい雨が、降ったりやんだりでここのところ、毎日雨降りで本当にどうなってるのか。この辺は、土砂崩れも洪水の心配はないが、その心配のある所は気が気じゃないだろう。
- 八月十八日(水)
今日は幸子姉さんは、雨がきつくなったら大変だということで来られなかった。おばあさんの診察日だったので、今日は心電図と血液検査をしてくださったが、この前の血液検査も良好で状態はとても良いらしい。
- 八月十九日(木)
今日は久し振りに、良いお天気になり暑かった。でも夕方、雷なり雨が降って来た。寿代は今日から、土曜日迄合宿。
- 八月二十日(金)
昨日やっと晴れたと思ったのに、今日は又、降ったりやんだりのお天気だった。
- 八月二十一日(土)
久し振りに夏らしいお天気になった。でも夕方、にわか雨が降ったりして蒸し暑かった。
- 八月二十二日(日)
今日は、地蔵盆で主人は朝の八時から夜の九時迄、役の仕事で急がしそうだった。ここの地蔵盆は見た事がないので、どれくらいの子供が集まってどんな様子かわからないが町が大きいので大変だと思う。
- 八月二十三日(月)
令子ちゃんから電話あり、九月一日には訓三さんが退院出来るらしいが両松葉でしばらくは車で通勤するらしい。
- 八月二十四日(火)
今日は、いよいよ産婦人科で診てもらうのでカンカン照りの暑い中、寿代に桂病院に連れて行ってもらい病院について受付にいったら火曜日は休みとの事、がっくりしてしまい、このまま帰るのは何ともばからしく、寿代に皮膚科で手足の湿疹を診てもらうよう言って、長いこと待って診てもらい薬をもらってから、食堂で食事して帰って来た。来週の金曜日に改めて行くことみした。
- 八月二十五日(水)
このところ毎日真夏日が来たような蒸し暑さだ。家でのんびりしていても暑いのに、お仕事している人は大変だ。ヘルパーさんも汗びっしょりで、私達のことをして下さると気の毒になる。
- 八月二十六日(木)
台風が近づいているらしく、午後から少しうっとおしい天気になって来た。明日は、リハビリセンターに行く日なのに雨が降ったら、タクシーがなかなか来ないし雨降りませんように。
- 八月二十七日(金)
リハビリセンターに診察に行き、先日の血液検査の結果を聞いたら、血沈三十八、リューマチ反応+三から+二になっているそうで、良い状態なのに最近立ち上がりがしんどかったり、手術した膝が痛いのは何故だろう、やはり貧血は以前よりきついらしく、早く産婦人科で診てもらうように、子宮を取ってもリューマチには何の関係もないとの事。
- 八月二十八日(土)
洋子が休暇をもらって会いに来てくれた。一年に一度、私に会いに来てくれてなんの気遣いもなく話が出来るのがとても嬉しい。御土産に洋子のお父さんがつって来られた新鮮な、イカとお母さんが海に潜ってとって来られたサザエで、なっかしい磯の香りがしていた。イカはお造りと丸焼き、サザエは醤油とみりんをいれて網で焼いてくれて、何年振りかで頂き本当においしかった。いい友いて本当に幸せだと思う。?ちゃんの下宿先へ行くとのことで夜の八時前に帰った。御土産に鮎菓子と漬物を持って帰ってもらった。
- 八月二十九日(日)
久し振りに、君子叔母さんが来られた。髪の毛も少しのびてお元気そうだったが、やはりなんとなく身体がしんどくて、今日は調子が良いので来て下さったそうだ。カステラを頂き、お昼にお寿司取ったが少ししか召し上がらなかった。一時間半程いて美智子叔母さん宅へいかれた。美智子叔母さんも最近身体の調子が悪く、大分やせられたらしい。
- 八月三十日(月)
今朝は涼しくて気持ち良かった。昨日から生理になり、今日も多くて下着やズボン汚してしまった。三日に産婦人科に行く予定なのでそれまでに終わります様に。
- 八月三十一日(火)
残暑で暑かった。保木さんから電話頂いた。昨日も頂いたのに勘違いされたらしい、御主人に替って下さって話をしたが、お元気で色々な趣味をなさって毎日忙しいらしく生き生きしておられた。夕飯のカレーライスを作って息子さんの家族にも上げるそうで、、なんでも出来て楽しんでおられるのは素晴らしいことだ。
ページの最初へ
- 九月一日(水)
今日から九月、八月もあっという間に過ぎてしまった。あれよあれよという間に年末になりそうだ。夏の終わりになってから暑さ厳しくてまいってしまう
- 九月二日(木)
トイレのウォシュレットが故障して、電話したがいつ来てくれるやらあれが使えないとお通じの時本当に困る。主人は、ライオンズや町内の体振の用事等で出かけることが多いのでその分仕事も忙しくしんどくなる程きばっているらしく、身体こわさなきゃいいけど。
- 九月三日(金)
やっと産婦人科で診てもらった。心配していた台の上はやはり、固定の位置へ足を広げる事が出来なくて片足を看護婦さんに持ってもらった。良性のポリープだそうで簡単に摘出して下さり、治療も何も必要なくいろいろ心配してたのが、アホらしいくらいで本当に良かった。ついでにガン検診もして頂き、一週間後に結果を聞きにくるようにとのことだった。
- 九月四日(土)
戦後最大の台風が、日本を縦断するとの予報で近畿は、夜中に通るのではないかと強風が来ても大丈夫なように、物干のハンガー入れたり自転車倒れないようにしていたが、夜中に中国地方から日本海へ抜けたらしく、それ程強い風雨はなく朝八時頃には風もおさまった、しかし通り道になった九州では、あちこち土砂崩れや洪水で死者や不明者が数十人おられたらしく本当にお気の毒だ。
- 九月五日(日)
台風一過でお天気も良く、涼しかった。主人は黒井のおばさんの一七回忌の法事に出かけて夕方六時頃帰宅。真佐夫さん宅からお供養に果物、海苔、お酒、卵、福枝叔母様より菓子、山ふきの佃煮を頂いた。
- 九月六日(月)
叔母様より今年も無を送って来て下さった。幸水梨の大きいのだった。母の代わりにと送ってくださる気持ちが嬉しい、末っ子の三十二才の息子さんがこの秋結婚されるどうで、叔母さんもやっと荷が軽くなって一安心だと思う。
- 九月七日(火)
黒井から頂いた卵と紀、横浜から頂いた梨を岩田さんにおすそ分けさせて頂いた。このナテ、トマトを何度も頂き、おばあさんに御見舞にとフルーチゼリー頂いたので、何かお返しをと思っていたので頂き物で申し訳ないが気持ちとしてさせて頂いた。
- 九月八日(水)
又、台風十四号が近づいているせいかとても涼しく、雨が降ったりやんだりだった。幸子姉さんに黒井から頂いた卵と横浜の叔母さんから頂いた梨をおすそ分けした。
- 九月九日(木)
ヘルパーさんの伊藤さんと、おばあさんの金婚式の話になりその時の写真をお見せしておばあさんと話してたが全然覚えていなくて、おじいさんのことも誰か分からなくなっていた。五十年一緒に暮らした夫のことでも、忘れてしまうものなんだと淋しい気持ちになった。
- 九月十日(金)
先日産婦人科へ行った時、診て頂いた子宮ガン検診の結果を寿代に行ってもらった。異常なしとのことでやれやれ、先日逸見さんが胃ガンでこのままでは一年もたないと言われたこと、今朝ハナ肇さんが肝細胞ガンで亡くなったと、やはりガンはこわいものだと思う。でもあまり自覚症状もなく元気で動けたりするのを見聞きすると、リューマチで長年痛い痛い、思うように動けないよりは、ましじゃないかと思ったりする、人間いつ死ぬかわからないという気持ちはいつも頭のなかにある、ガンと言われればそれをもっと現実的に、考えて死ぬ準備が出来ると思えば、そんなにこわくない等と思えるのは、ガンになってないからかも知れない、ガンと言われた時本当の自分の姿がわかるのかも知れない
- 九月十一日(土)
希代子も寿代も朝から出かけたので、おばあさんのオムツが心配だったがべんも出ず大丈夫だった。
- 九月十二日(日)
今日よっと十日ぶちにお風呂に入れてもらった。最近涼しくなってあまり汗かかなくなったので、なんとか辛抱できた。最近主人は疲れているのか私を入れるのをいやがるし、もちろん希代子や寿代も夜忙しくて遅いので嫌がるしつい遠慮してこうなる。
- 九月十三日(月)
昨日から始まった相撲で貴の花が負けた、腰痛があるらしいので今回は、優勝は無理かも知れない。
- 九月十五日(水)
今日は良いお天気で四腰汗ばむ程の暑さだった。長覚寺さん月参りに来て下さった。敬老の日だけどおばあさんにこれと云ったこともして上げられなかったが、履き易い靴買って来てもらい、ちらし寿司を作ってもらった。黒井の叔母さんより梨送って来て下さった。
- 九月十六日(木)
昨夜稔さんより電話あり、幸子姉さんと和子ちゃんを相撲観戦に招待されたそうで、今日日帰りで行かれたらしい。相撲の時テレビにうつらないか目をこらして見ていたがわらなかった。
- 九月十七日(金)
今日は、寿代の二十才のバースデー寿代もとうとう二十才になったんだなあと、月日の早さを感じる。プレゼントは何もないけど、学生生活を大いにエンジョイしてくれればと思う、いまが一番楽しい時だから、大人になると云うことは色々な苦難がまっていることだし、それを乗り越えられる精神力をやしなって欲しい。
- 九月十九日(日)
今日は網田の父が亡くなって十八回目の命日、いつもは忘れているのだが今日は覚えていた。随分昔のことのようであり、ついこの間のことのような気もする。一つも親孝行らしきことをせずじまいだったことが悔やまれる。
- 九月二十日(月)
最近刺繍してないが、又、ぼつぼつやろうかな、丹加茂意味中断しているしやらなきゃと思いながらなかなか実行しないとこらが私に悪い所だ。
- 九月二十一日(火)
お天気も悪く肌寒かった。日も大分短くなり、秋は本当に駆け足でやって来る。
- 九月二十二日(水)
幸子姉さんが、お相撲の御土産を持って来て下さった。お相撲さんの形をしたチョコレート、お餅せんべい、ぬれ甘納豆、海苔、甘栗等たくさん頂いた。ます席はやはり高い十数万円するらしい、御祝儀も一万から一万五千円渡すそうだが、それなりの値打ちはあり、とても良かったそうだ、子供達はすどく羨ましがっていた。夜、稔さんにお礼の電話したら、お金はたくさんいったけど皆に喜んでもらえて、値打ちがあったと喜んでおられた。
- 九月二十三日(木)
今朝は休日なのでゆっくり起きて来て、おばあさんの部屋あけたらこういう時に限ってベッドから落ちて、オムツはずしてあちこちに散らかし、おしっこでボトボトになってたたみに転がっていてビックリした。すぐに希代子と寿代が着替えさせてくれたが、風邪でもひいたら大変と思ったが大丈夫みたい。夕方、寿代の定期を桂駅近くの路上で拾い、交番に持って行ったが留守だったので家を探して、おじいさんが届けて下さった。なくしたら大変なものを、わざわざ届けて下さり本当に有難かった。
- 九月二十四日(金)
今日は私の診察日なので、村松さんにリハビリセンターへ連れて行ってもらった。手術した方の膝が曲げ伸ばしする時痛いと言ったら、レントゲンとって下さったが、人口関節そのものは変化が現れていないから、セメントとかポリエチレンとか、人口関節に付随するものが、磨耗することによって痛いのかも知れないとのことだった。我慢出来ない程の痛みではないので、ほっとかなきゃしょうがない
- 九月二十五日(土)
久し振りに良いお天気だった。朝晩はひんやりして寒いくらいだが、日中はちょうど良い暖かさで、気持ち良かった。
- 九月二十六日(日)
寿代は、以前バイトした保育園の運動会に、朝早くから手伝いに出かけた。主人は、工芸士の集まりに昼から出かけた。
- 九月二十七日(月)
今朝五時頃主人が起きたら、おばあさんがベッドに座っていたのでまだ、夜中だからとベッドに寝かせたが、家に帰ると言って又起きて、ベッドに座り家迄送って欲しいと等何度も言い、主人が家はここやと言ってもわからないらしく、いつもだったら又、寝るのにベッドに横になっても腑に落ちない様子で、目を開けていた。昼食の時は、おじいさんや主人が昼食食べに帰って来るからと、玄関ばかり気にして結局、昼食は少し食べただけで、夜は、ボサーッとしてテレビを見るでなし見てないでなし少し食べただけで、なかなか寝に行こうとせず、そのくせ急に立ちあがって歩きトイレに行くと言って皆をびっくりさせたり、今日は朝から少し興奮気味だった。まあよくあることだからそれ程心配でもないが、夜中にベッドから立ち上がって歩き出しはしないか、それだけが気になる。棚をすると寝たり起きたりするとき不便だ
- 九月二十八日(火)
昨日より生理になり、やはりポリープを取ってもらったおかげで順調になったようだ。不正出血ないし良かった。このところいいお天気が、続いているので、久し振りにおばあさん散歩に連れて行ってもらった。これからは気候がいいので寒くなる迄、時々散歩に連れて行って頂こう。
- 九月二十九日(水)
朝、おばあさんが耳の後ろあたりが痛いと言って、元気がないので心配したが、お医者様に診て頂いたら寝違いだから心配ないとの事、昼過ぎには傷みも治まったらしく一安心。
- 九月三十日(木)
今日は朝から一日雨降りでうっとうしかった。そのせいかどうか身体は痛くてしんどかった。今日は中秋の名月らしいが雨降りで残念。お菓子屋さんが下さったすすきがきれい。
|
|
|
|
|
|