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【日記の原本】 |
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第1回目の日記 昭和六十二年七月三日〜六十三年七月十七日 |
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- 昭和六十二年十一月十八日
再入院、右股関節・人口関節手術の為、又、みんなに迷惑をかけて来年の春迄、入院することになった。懐かしい七号室で、又、長さんと隣同士になった。君子おばさんが、荷物を整理したり、ベッドの周りを掃除して下さった。
- 十一月十九日
昼から心電図、肺活量、血の検査等をして下さった。
- 十一月二十日
午後、リハビリ開始 車椅子を足でこぐのが痛くてしにくいので、稲垣さんの娘さんに押して頂いた。肘を曲げられると痛くて痛くて思わず悲鳴がでる、他の所はなんとか辛抱できるがこの肘を曲げる為にはどれだけ泣くだろう。股関節のこの痛みも、手術したらなくなることを楽しみにしているのに、術後痛かったらたまらんわ。今日は、お父さんが九州へ出張にいった日だけど、どうぞ無事で帰ってきますように、電話がかけられないので不便だ。
- 十一月二十一日
半月程遅れて、生理になった為、お腹がキンキンに張って痛い。午前中、上田先生がリハビリに来て下さって 肘をしてもらうと、泣きたい程痛い。午後、寿代が来てくれた。明日帰る時、一人で帰れないので、お父さんに迎えに来てもらうようたのんだけど、ちゃんと伝えているかな。
十一月二十二日
午前中、主人に迎えに来てもらって、家に帰った。午後母と娘二人は習字の展示会観に、建仁寺へいくので私は東急ホテルの美容室に、車椅子に乗せて連れて行ってもらった。サービスもいいし、二人がかりで早く終わったけど、8千円と少し高かった。
- 十一月二十三日
朝から、テレビばかり見ていた、何も出来ないし動けないのでもどかしい。寿代に手伝ってもらって、衣類の整理だけした。晩御飯を食べて、八時半頃病院に帰った。
- 十一月二十四日
午後、令子ちゃんに連れてもらって、CT検査の為、相馬病院へ行った。保険証を持っていかなかった為、又、持って行ってもらわなければならない。検査の結果や手術の説明は、土曜日に、日時を決めるそうだ。
- 十一月二十六日
夕方、園子姉さんが来て下さった。大徳寺でお香の会があって来られたらしい、今晩・と明晩、堀川に泊って手伝って下さるとか、相馬病院の支払にも行って下さるそうで本当に助かる。
- 十一月二十七日
この頃、九時に寝る前に座薬を入れてもらったら、痛みもあまりなく、朝までもつようになった。家にいる時も寝る前に入れておけば良かったのに、入れなかった為、毎晩うなってお父さんに迷惑をかけて悪かった。肘の訓練もやはり毎日してもらっていると痛みもましになり、だんだん曲がるようにはなってきたが肩の痛みは取れないので使いこなせない為、進歩がない。
- 十一月二十八日
訓練休みだから、自主トレしようと思ったけど眠くて眠くて久し振りに昼寝した。肩は、あいかわらず痛くて腕が上がらない為、自主トレがしにくい月曜日がこわいなあ。家の者みんなどうしてるかなあと思っていたら、晩、お父さんが大阪の帰りに寄ってくれた、あまり話できなかったんで必要なことしか話さなかってけど、宮川君のことどうなったのかなあ、折角きたんだから、辛抱していてくれたらいいのに、お父さんだって忙しいのに、そんなことで頭悩ますのは気の毒だ。おばあちゃんは、昨日、幸子姉さんと一緒にコート見に行っていいのがあったかなあ。子供達は、期末テストが近づいてるし、ちゃんと勉強してるかな、誰かこないかな。
- 十一月二十九日
今日は、センターの文化祭だった。午後、稲垣さんの娘さんに車椅子を押してもらって、エレベーター迄行ったら、令子ちゃん・親子が来てくれたので 三階につれて行ってもらった。令子ちゃん達は、牧野のお姉さんの御見舞に行くとかで訓三さんも ちょっと顔のぞかして下さったが、すぐ国立病院の方へ出かけたので、おでんやおぜんざいを一緒に食べようと思っていたのにできなかった。施設の方達の劇、「水戸黄門」は、西川さんの娘婿さんが、東映に勤めておられるので、かつらや衣装等を貸して下さったとかで、なかなか本格的でよかったが、後ろの席からはちょっと見にくくてよくわからなかった。
途中、横に立っておられたご婦人に声を掛けられて、話しているうち吉本先生のお母さまだということがわかり、御礼を申し上げたがやはり母親と云うものは、子供の仕事ぶりを心配し大阪から、来られたんだなあと、お母様の気持ちがよくわかる気がした。最後に、施設の方全員による和太鼓がありなかなか圧巻だった。あそこ迄、練習するのは大変だろうなあと感動した。文化祭の御蔭で退屈せずにすんだ。文集も頂いたので、読ませてもらうのが楽しみだ。
夕方、寿代が来てくれた。希代子がくっきーを作ったからと持って来て、病室の皆さんにわけていた。
- 十一月三十日
今日は月末、支払の方はちゃんとわかっただろうか、給料明細の袋もわかったかなわからなかったら、明日、お父さんに怒られるだろうな、忙しい思いさせて悪いなあ。この頃、一段と冷え込んできたみたい、病院にいたら温かくて寒さ知らずでもったいない。家の者はさむいだろうな、風邪をひかなきゃよいけど、どうかみんなが元気で過ごせますように。午前中、浜野さんが入院して来られた。又、この前入院しておられたベッドと同じ所で賑やかになった、ティシュペーパーを頂いた、不二夫さんも、診察に来られた帰りに寄って下さり貯金箱(筒)を頂いた。昨日は木村さんからはウイットティシュを頂いた。
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- 十二月一日
朝十時半に、主人と二人で手術説明を聞かせてもらった、やはり年が若いと云うことで骨頭は自分のを使う、半人口関節を入れるそうだ。リューマチは骨が弱いので骨の再生ができにくいので、普通より大分時間がかかりそうだ、今のこの痛みさえとれたら少々のリハビリは、辛抱するつもりだそれより麻酔が恐ろしい、どうか苦しくない方法で良くかかりますように。OT室で訓練している時、おばあちゃんが来て下さった。国曜日の手術日は、生協さんの日で忙しいから来られないからと言って来て下さったそうだ。元気そうだったので安心したが本当に申し訳ない。
- 十二月二日
午前中、病室のベッドで加賀谷さんに剃毛して頂いた、誰がして下さるのか心配していたが加賀谷さんで良かった。前の毛をそってもらう時、恥ずかしさもあったが皮膚のやわらかい所でもあるので、怖かったが上手にそって下さった、つるつる坊主になって変な気分おかしくなった。その後、エレベーターバスに入れて頂いた、婦長さんが丁寧に洗って下さって、途中、令子ちゃんが来てくれて手伝ってもらい、湯舟の中に入れてもらって、気持ちが良かった。今度はいつ頃入れてもらえるだろう。訓練の後、点滴があり、ああ、又、毎日これがあるんだなあとうんざりした。明日はどうか麻酔がうまくいきますように、手術は先生を信じておまかせします。点滴の時、ステロイドを入れて下さったのでちょっと身体が、軽くなったような気がする。九号室にチャンバラトリオのメンバーの、一人が入院して来られたので病室や訓練室でも、その話でもちきりだった。
- 十二月三日
いよいよ手術の朝がやってきた。朝方目がさめてからは眠れならったが、それ程不安はない。おまかせするより仕方ないのだから。今朝もよく冷え込んで寒そうだ、家のみんな風邪を引かなきゃよいが、あったかくして学校へ行ってるだろうか。おばあちゃんの部屋、ストーブ付けてくれたかな、お父さんも風邪を引き易いから気をつけてもらわなきゃ。麻酔のかかり易い薬を飲んで、しばらくしたらなんとなくボーットとしてきた、これでよく麻酔がかかりますように。もう一度、トイレに行ってから手術着に着替えて、いよいよ出発どうかお守り下さい。お父さん・お母さんお守り下さい。
お父さん・お母さん お願いします。ふだん 御墓詣りをたまにするのが精一杯のくせに、こんな時だけごめんなさい。内臓の病気に比べたら易いことだと思うし、術後のリハビリはしんどいかもわからないけど頑張ります。手術室に入ってまず身体を右下にして、腰椎麻酔をしてから今度は左下に横向きになったら、左の肩と手の位置が落ち着かずしんどいなと思い乍、眠ってしまったらしく、手術でガリガリやっている音は、聞こえなかったが、後半、左肩が痛くていろいろスポンジあてて下さってもどうしょうもなく、しんどくて涙が出た。股関節の方は、縫合している最中で股の付け根も縫合かなんかしているのが、ちくちくと感じたので、「しんどいよ まだですか」と聞いたらもうすぐ終わりよと、言って下さってやっと終って仰向けにして下さった時は、ほっとした。
でも麻酔が切れかけていたの 病室のベッドに、寝かせてもらったら傷口がビリビリ痛んで背中に麻酔液を入れてもらったら、しばらくして痛みはなくなったが、今度は右膝あたりからだるくてだるくて、身体もしんどくてこのまま一晩こさなきゃならないとしたら、つらいなと思った。幸子姉さんが来て下さっていたが、しんどくてお礼も満足に言えないまま、主人と入れ違いに夕方帰って下さった。お父さんと正隆が時計と、昔懐かしい型のラジオを持って来てくれて、みんなにめずらしがられた。手術の晩はしんどくて足がだるく何度も、お父さんにさすってもらったり、ものすごく喉が渇くので、何度もお茶を飲ませてもらって看護婦さん共々本当にお世話になった。私も殆ど眠れず、朝になるのが待ち遠しかった。
- 十二月四日
やっと長い一夜があけた、お父さんもほとんど寝なかったらしく、あちこち痛いと言っていたが、ちゃんと仕事できたかしら、お父さん本当にありがとう。ベッドは、四十五度しか上がられないので朝食は食べたくなかったが、四分一程食べさせてもらって横になった途端むかついて来て、ナースコールならそうにも上の方にあって届かず、夢中で看護婦さんを呼んで来てもらった途端、今、食べた物を全部はき出してしまい、タオル・枕・お布団を汚してしまったのでしばらくしてから寝ながら、全部替えてもらい身体もきれいに拭いもらって、パジャマとチャンレイズボンに替えてもらいさっぱりした。
午後から、少し元気が出て来て足のだるさもなくなり楽になった。二時頃、寿代が来院。今日で期末試験も終わり今度は、良くできた方だと喜んでいた。そのうち希代子も試験前だから、早く帰ったからと寄ってくれた。チャンバラトリオの山根さんが、入院していると言ったらキャーキャー言い乍ら何度も廊下に出て、遂に「こんにちは」と挨拶したと喜んでいた。
- 十二月五日
今日は、大分楽になった、手術した足は変形して外反しているのでそれを内側に向けようとすると股の付け根が痛いお尻は、円座を当てているので仰向きに寝ていてもそう苦にならないのがわかる。ラジオの御蔭であまり退屈しないですんだ、令子ちゃんが、昼前来てくれたが胃潰瘍とかで病院に行っての帰りだとか、あの子も元気そうでもやっぱり無理したらだめだ、私の事や、梅津のお母さんの事で忙しい思いさせた。ごめんね。
- 十二月六日
午後、ひょっこりおばあちゃんが来たて下さった、桂の家に編み棒や半天の布、取りに行く途中に寄って下さったそうだ。おばあちゃんのカーデガンは、季節はずれで糸がないとかで編めないから今、希代子のを編んで下さってるそうだ、忙しい中、申し訳ないがおばあちゃんのたった一つの楽しみだから甘えておこう。途中、正隆も来てくれた、試験も終わって塾も行って来たから、ちょっとのぞいてこようとあの子としては優しい気持ちで来てくれたのだと思い嬉しかった。
正隆が帰ってしばらくして、おばあちゃんも桂に行かれたら入れ違いに、三宅先生が御見舞に来て下さった、身内以外のお見舞いは御辞退したかったが、折角のお休みの日にわざわざ来て下さって有難いことだ。一行寺の宮子さんからは、御見舞にネグリジェを頂いたそうだ、ネグリジェは病院では着られないので、娘達がもらうと言って喜んでたそうだ。食事も始めは寝ながら言っても45度は起きられるが、それでも食べにくかったので大分手伝ってもらっていたが、お腹の上に乗せてもらって、おつゆと牛乳以外はなんとか自分で食べられるようになった。時々、吉本先生が持って来て下さった猫のぬいぐるみの生糸を巻いたり、足の運動をしている。右は足首しか動かせないが他は、ステロイドの注射のせいか割と楽だ。洋子にハガキ書きたいと思うけどまだこんな字しかかけないので、もう少し調子よくなってから書こう、寝ながらだから日記書くのもホントつかれるわい。
- 十二月七日
昨夜は、なぜか目がさえて夜中の二時か三時頃迄、眠れなかった。年末を控えて、お歳暮のことやお節料理のこと等、おばあちゃんに頼むことをいろいろ考えたりしていたためかも知れない。今日も身体は、快調だけど何んにしても寝たままの状態でしなきゃ、ならないので不便だ。洋子から待ちに待った手紙が来た、ノート三枚にびっしり私への励ましや自分の悩み等が書いてあり、何度も読み返したが洋子からの手紙は本当に楽しみだ。私も早々、下手な字でハガキを書いて令子ちゃんが来たら、持って帰って出してもらおうと思っていたのに忘れ-てしまった。田中先生が、明日七号室へ戻ったら早速、リハビリを始めるようオーダーしておいたと言われた、明日から忙しくなりそうだ。君子叔母様が、ちょこちょこと来て智奈美ちゃんとこ行かなきゃならないからと、弓子ちゃんからと言ってドラ焼きを置いてすぐ帰られた。
- 十二月八日
昼前、7号室にも戻った。みなと一緒にいると、気がまぎれて痛さもあまり感じない、リハビリも、開始したが心配していたような痛みも無く助かった。肩や手・指のリハビリもOTの先生にしてもらうことにした。
- 十二月九日
午後、田中先生が来られて3キロのけん引きをして下さったが、これもそう苦にならない
- 十二月十日
カバに乗って、横向きにしてもらうのも難なく出来て楽だ。午後、包交の時何針縫ってあるのか聞いたら五針だそうだ。今日から、六十度起きてもいいことになり、少し食事がしやすくなった。夕方の、リハビリの最中美智子叔母さんが、御見舞いに来てくださった。又、御見舞たくさん頂いて恐縮だ。
- 十二月十一日
今日から点滴がなくなり楽になった。午後、奥村さんの奥さんが来て下さった。
- 十二月十二日
午前中、島先生に簡単に訓練してもらった後は、カバさんに乗って横向きになったり仰向いてけん引きしてもらったりで殆ど何もせずに寝ていた。夕方、令子ちゃん親子が来てくれた。
- 十二月十三日
午前中、弓子ちゃんが正国君と大輔君を連れてお見舞に来て下さった。正国君と大ちゃんには、何年振りかに合ったので大きくなってびっくりした。昼からは、寿代が来てくれた。車椅子の花嫁の第二弾を持って来てくれた。大きさも厚さもちょうど手頃で読み易い。お歳暮配ってもらう所をメモしてもらって、おばあちゃんにたのんでもらうようたのんだが。夕方、主人がテニスの帰りに工芸会近くの、たこ焼き屋さんからアツアツのたこ焼き買ってきてみんなに分けてくれた。夕食前だったが全部食べさせてもらいおいしかった。今朝、佐野友子さんが退院された。昨晩、退院のしるしとしてとポテタンカップーを頂いた。
- 十二月十四日
いつもの訓練の後、午後からは「ベッドの端に座って足をおろしましょう」と言われてびっくりした、もうそんな事をしてもいいとは思わなかったのでうれしかった。足をたらしても痛みはないが、その格好になるのに時間がかかる。明日は、車椅子に乗り移る練習だそうだ、車椅子に乗れたら今度はトイレへの乗り移りの練習と、次々プログラムが組まれているみたいだが、予定通りついていけるだろうか。昼前、幸子姉さんが来て下さり、リハビリも見て頂き、昼食食べるのも手伝って頂いた。午後からおばあちゃんと一緒に、お墓詣りに行かれるそうだ。昨日、寿代の持って来てくれた本を読んだりしてたので、退屈する暇はなかった。
- 十二月十五日
ベッドから足をたらして御飯を食べると楽だけれど長いこと座ってられないし、左足だけで身体を支えるのはこわい。間宮さんのように けんけんができないから車椅子に乗り移れるか心配だ。洋子から、又、長い便りもらってうれしかった。今日は、OTは休みだった。希代子は今日試験が終わったはずだから明日ぐらい来てくれるかな。
- 十二月十六日
ベッドの端に、座れるようになったので、食事の時は座ってしますと言ったら、リハビリの時意外は座らないようにと植田先生に言われたので、夕方、田中先生が来られた時に お聞きしたら三週間は座らないように言われた。今日は、身体をふいてもらいパジャマも着替えさしてもらい、洗髪してもらっていたら令子ちゃんが来てくれたので、ドライヤーで乾かしてもらい足も洗ってもらってすっきりした。毎日お通じがあるのに、今日はない。
- 十二月十七日
今日は、お通じ二回あった。浜野さんが、午前中六号室から帰ってこられた、今日は梶川さんのオペがあった。午後、田中先生に抜糸してもらった心配する程、痛くはなかった。午後の訓練の時、おばあちゃんが来て下さってお正月の段取りのことを聞かれた、お歳暮はもうして下さったらしい、もう帰ろうかとしていた時、内藤関蔵さんのおばさんとお嫁さんが見舞に来て下さった。お嫁さんの実家の親御さんが亡くなられて昨日、一行寺でお葬式がありその時のやまがしを、家まで持って来て下さって私の事わかったらしく、早速、来て下さったらしい。
- 十二月十八日
昼からレントゲンとるとかで、ストレッチャーに乗せてもらい、レントゲン台へ毛布ごと移動してもらい、所長さんを呼んで、5キロのおもりで引っ張ってとり次に十キロ程で引っ張り、最後は所長さんが膝を引っ張ってとって下さった。三キロのおもりでは引っ張り方が少ないとかで、四キロで引っ張ることになった、四キロで引っ張ると膝が痛くなる。車椅子の乗り移りも長さんの板を借りてやったがむつかしい。明日、明後日と、リハビリ休みでたよりないな。
- 十二月十九日
土曜日だけど、植田先生がリハビリに来て下さった。昨晩、病院の先生・RT・DTの先生や職員の方達の忘年会があったとかで、二日酔いの顔をして来られた。昼から四キロ下げて横になっていたら、寿代が三時半頃来てくれた。年賀状を出す人を住所録から印をつけておくようにとお父さんに言われたらしいが、六十年度の年賀状を見て書くようにたのんでおいた。途中、君子叔母さんが来て下さり、ちょっとだけおられて帰られた。先日、操おばちゃんからお菓子を送って来て下さったらしい、毎年、暮れになると送って下さって有難いことだ。お礼状書きたいけど、字がうまく書けないので令子ちゃんに電話してもらおうかな。
- 十二月二十日
昼間はなるべく、四キロつるして寝ていようと思うから何もできない、本もなかなか読めないから寝ながら左足や手の運動をしていた。三時頃、希代子が来てくれたので、頭がフケだかけだから、洗ってもらおうと思って看護婦さんにたのんだら、いろいろ準備しているついでに「洗って上げるわ」と言って、洗って下さったがフケはちっとも取れず、頭の皮みたいなのがたくさんついているらしい、まゆげやまつげの上にフケがおちて来たりしてうっとうしい。手の甲や足の甲もぬれティシュでこすってもらった 垢がいっぱい出た、少しはましになったけど 車椅子乗れるようになったら、手をきれいに洗ってみたい、顔剃りも年内に令子ちゃんにしてもらいたいけど忙しいだろうな。
- 十二月二十一日
午後、令子ちゃんと康ちゃんが来てくれている時、お父さんと正隆が三者懇談の帰りに寄ってくれた。伏工はとても無理だから両洋の専願にするか、南京都と併願にする方がいいと言われたらしい。お父さんは、南京都は遠すぎて無理だから両洋の専願にした方が言いといっていた。その代わり、図面書きが出来ないから、卒業したら専門学校へ行かなあかんらしい。正隆の教育の仕方が悪かったのか、頭の悪い子に生んだのが悪かったのか、正隆をせめる気にはなれない、むしろ可哀想な気がする。主人も気の毒だ、学校で役をしているのに肩身が狭いだろう、私が聞いてこなければならない所を行ってもらって申し訳ない。正隆も散々、先生に言われただろう、元気のない顔して本当に可哀想になる、頑張りなさいよとしか言いようがなかったが、どうぞ、正隆をお守り下さいと念じたくなる、だんだんいじけた子になりそうで、そうしむけていった私達家族の責任もある、せめて病気しないように祈るばかりだ。
- 十二月二十二日
今日は一日どんよりと頭が痛かった。やっぱり家の持って来てもらおうかな。車椅子に乗り移るの、午前中は四苦八苦したが、夕方のリハビリは割りとスムーズに出来た。金曜日迄に、一人で乗れるようにならないとお正月に困るから頑張ろう。
- 十二月二十三日
昼から、おばあちゃんが来て下さった。令子ちゃんに、洗濯物やらお世話になっているから、頂き物のハムを渡してと言って持って来て下さった。稔さんから、子供達にお年玉や、おばあちゃんに小遣いやら送って来て下さったそうだ、何かお返しするものがないかな。車椅子の乗り移りは、少しましになったが運転が、又、難しい。みんなスイスイ乗ってるのに、ちゃんと乗れるようになるだろうか。
- 十二月二十四日
ベッドの脇に腰掛けて、食事してもいいことになり、歯磨がきもしやすくなり薬も一人で飲めるようになった、何より食事がしやすく食欲も出る。ガーゼ交換の時、傷がまだじくじくしている所があるから二十八日のお風呂日に入れないそうだ、まあ、二日おきぐらいに身体は拭いて下さるし下も毎日洗って下さるから、垢だらけにはならないだろうけど、ちょっと残念。車椅子に移るのは、午前中よりやっぱり午後の方がしやすい。夕方、トイレに移るリハビリをしたがお尻持ち上げてもらわないと できそうにない。いずれにしても当分は一人で乗ることはできないだろう。お正月休みに、上手になってみんなをアッと言わせたいなあ。夕方、原田さんと純ちゃんがお見舞いに来て下さった。かわいいお花とクッキーを下さった。奥さんも東京へ行ったり来たりで疲れ気味らしい。お正月は、十日程、お休みがあってのんびりするらしい。純ちゃんも、陸上やってるだけあって、いい体格してるけど女らしくてかわいいお嬢さんだ。
- 十二月二十五日
今日から訓練は、一月五日迄お休みなので、稲垣さん・間宮さん・長さんが次々と自宅へ帰られて残るは、浜野さん・梶川さんと私の三人だけになって寂しくなった。植田先生は今日も、来て下さって足と肘のリハビリと車椅子に乗る訓練をして下さった。靴の底に、ゴムを付けて高くしたのを貸して下さったので少しこぎ易くなった。右の痛い方の手も使って両方でこぐとわりと方向もスムーズにいけるみたい、だけどまだスイスイといくには程遠い感じ。訓練の時、寿代も来ていて見てくれていた。三人の、通知表と寿代の習字がケルン市に行って展示された。感謝状を見せていた。
- 十二月二十六日
次々と家に帰る人や、退院する人達の声が聞こえて、夕方にはひっそりとしてしまった。小永さんも生駒は帰られた。一日がとても長く感じられた。
- 二月二十七日
午前中と午後、自主トレする他は何もすることもなく、三人だけどあまりしゃべることもなく、退屈な一日だったなんていうと、忙しくお正月の準備をしている人に怒られそう。毎日、暖かくていいお天気が続いて、お掃除や買い物するのに良かったなあ。お正月終わる迄、続きますようにそうでないと折角おばあちゃん達、旅行に行くのに 雨や雪が降ったら困るし、病院に帰ってくる人達も困るだろうから。夕方、訓三さんと紀ちゃんと康ちゃんが来てくれた。令子ちゃんに顔そり、たのんでたけど忙しいんだろうな、看護婦さんにたのんでみようかな。
晩七時頃、お父さんがたこ焼持って来てくれたけど、歯磨きみんなすませた所だったので折角だけど持って帰ってもらった。正博さんがちょいちょい休でるらしいから忙しいだろうけど、あまり疲れた様子もなく元気そうで安心した・。
- 十二月二十八日
今朝、中山先生に傷を見て頂いたらきれいになっているよと言われたので、プレパンソをはずしてもらってガーゼだけ当ててもらった。田中先生は、今年は今日で最後でお正月の二日に来て下さるとかで、車椅子に乗せて動き回るのは許して下さった。植田先生も、訓練に来て下さって『ぼのぼの』というかわいいマンガ本を貸して下さった。昼から、車椅子に乗ってテレビ室に行って『加とちゃ ケンちゃん』を見ていた。梶川さん一人部屋において来たので早く帰ろうと思ったけど、ワックスがけをしていたのでそれが終わるまで待つていた。ゆっくりだけど行きたい方向にこげるようになった。
- 十二月二十九日
ラジオもテレビも、忙しい年の瀬の様子を伝え、世間はお正月準備で大わらわだと言うのに、毎日ベッドの上で一日二回の自主トレと、猫さん作りか読書ぐらいで一日を持てあそんでいる。二時頃から車椅子に乗ってテレビを見に行ったが、あまり面白いものやっていなかったが四時頃迄、見て部屋に戻り洗面所で手を洗ったら、垢が消しゴムのカスみたいにボロボロ出てきた。よっぽど汚い手をしていたなあ、吉本先生にいつも汚い手を触ってもらっていたんだと思うと恥ずかしい。紀ちゃんが洗濯物持って来てくれたが、令子ちゃんは掃除やらで忙しい忙しいと言って、康ちゃんのお守を紀ちゃんがしているらしい。明日令子ちゃんが来てくれるどうだが忙しいのに悪いな。
子供達も掃除ちゃんとやってるかしら、おばあちゃんも忙しいことだろう、本当に申し訳ない。来年は、どうぞ元気で御正月準備ができますようにお願いします。誰にお願いしたらいいのかなあ、仏様にはお願いしたらいけないそうだが、亡くなった両親にお願いしたくなる。
- 十二月三十日
夕食は、お父さんが来て、年末調整のことや給料のことで私がきっちりしておかなかったからやと言っていた。私も月半ばで、入院したからその辺のことがちゃんと出来てなくて悪いことをした、忙しいのに帳面づけで、頭を悩ませてすみません。お正月は、なんなと御馳走が出るみたいだと言ったら、そんなら何も持ってこんでもいいなあとあっさり言われてしまったが、おぜんざいか、あべ川もち食べたいなあ。今年も後と一日で終わりだ。今年は、私にとってリュウマチに振り回された一年だった。
- 十二月三十一日
今年も、今日で最後になった。午後から足洗ってもらいさっぱりした、着替えは朝してもらうようお願いした。手の爪も切ってもらい、ちょっぴりお正月をも迎える気分になった。一時間程テレビ見て部屋に戻りけん引きしながら仰向けに寝ていると何んにもしないで、お正月を迎えるのが、悪いような気がするが今の私の仕事は病気を、治すことに専念することだから、みんなに感謝して新しい年を迎えよう。
今年程、いろいろな人にお世話になった年はない。特におばあちゃん・主人・子供達にはめいわくをかけ通しで、これからも続くだろう、本当にありがとうございました。それにしても年越しそばが食べられないのは残念。紅白歌合戦は、やさしい看護婦さん(岡本・高田さん)のおはからいで見せて下さるそうだ、ワーイ。
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