- 昭和六十二年七月三日

容子入院(リハビリテーショョンセンター)幸子姉様 3時頃来て下さる。バレーシュ―ズ、時計の電池、ガム買って来て下さる。君子叔母様、5時半頃来て下さる。気分が悪くなり10分程で帰られる。
- 七月四日
血液検査・血圧測定・心電図・血液擬古検査。二時半、屋上に散歩。寿代来てくれる。
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- 七月五日
令子ちゃん来院。ケーキ頂く。希代子来院。3時頃より5時頃帰宅
- 七月六日
令子ちゃん・紀ちゃん・庚ちゃん来院。歯ブラシ・濡テッシュ・菓子頂く。レントゲン写真とる。
- 七月七日
午後、田中先生の診察。二時半より作業療法室にて、吉本先生担当で問診、三時半より 理学療養室にて植田先生担当で問診。明日より、訓練開始。朝十時入浴、頭も身体も看護婦さんに、きれいに洗って頂き気持ち良かった。夜中、股関節・膝・肩痛くて寝られず、四時に座薬入れてもらう。
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- 七月八日

二時半より作業療養室(OT)。スイッチいれられるかどうか・水道栓まわせるか?・引き出し引っ張れるか?・鍵かけられるか?・肩・肘のマッサージ。三時半より、理学療法室(PT)にて肘・膝の訓練。5時半頃令子ちゃん親子来院。6時頃主人来院。夜中、お尻、肩,肘が痛くて寝られず、座薬3時に入れてもらう。
- 七月九日
希代子今日より期末試験、令子ちゃん来院。
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- 七月十日
OT)湯の中で、指を拡げたり・伸ばしたり・左手でスプーンを使う練習、服の着脱の練習(PT)肘の曲げ伸ばし・膝・足首の曲げ伸ばし。階段の上がり下り。主人来院(OT)(PT)見学。昼間は痛みもあまり無く快調。
七月十一日・十二日
土・日は帰宅。家で少し台所仕事をしたせいか、足が痛くて疲れた。
- 七月十三日
(OT)で藤のかごを作る。左手でスプーンを使う練習。(PT)肘、膝、足首の曲げ伸ばしの練習、階段の上がり下がりの練習。夕方、主人君子叔母様来院、アンパン頂く。
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- 七月十四日

十時よりお風呂。昼より激しい雷雨。子供達はぬれずに帰れたか心配。(OT)湯の中で、手首の屈伸、靴下をはく練習。(PT)いつもの訓練。
- 七月十五日
(PT)今日は、一時四五分よりいつもの訓練。(OT)靴下の自助具作って下さったが手の力の弱い私には難しい。同室の小山さんは、はきやすいと言っておられた。長さんが作ってもらったハンガーのような自助具を貸してもらいズボンと下着を脱いで下着だけはいた。パジャマは令子ちゃんに着せてもらった。主人来院、洗濯物持って帰ってもらう。令子ちゃんより,鮎菓子頂いたので、病室の方に分ける。山本さんよりメロン頂く。
- 七月十六日
今日より鉄剤の代わりに注射。火曜日一時に、主人に来てもらって手術の説明をして頂く。(OT)かご作り、靴はきと、手指の変形をなおすものを作って下さる。記ちゃんがナプキンや雑誌持って来てくれる。正隆夕方、洗濯物持って来てくれる。
- 七月十七日
祇園祭り。(OT)かご作り、手指、かたマッサージ。(PT)いつもの訓練、膝の屈伸は少し痛い。主人、正隆の三者懇談に行って、帰りに寄ってくれる。田中先生、股関節と膝のツボを押して下さる。小永さんよりちご餅頂く。
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- 七月十八日

午前中、手術する肘のレントゲン、肘の検査、手術の際いる物や、注意事項を聞く。午後、寿代来院、洗濯物持って帰ってもらう。令子ちゃん親子来院。桃を持って来てくれたので、皆さんに分ける。小永さん、長さんは、土日外泊。
- 七月十九日
十時頃、激しい雨の中帰宅、離れの瓦が壊れているとかで雨もりはするは、渡り廊下はビショビショになるはで大変らしい。おばあちゃん元気そうでよかった。子供達はクラブ等で忙しそう。夜、病院に帰るとぐったり、長さんより缶ジュース頂く。
- 七月二十日
今日は一日しんどくて元気が出なかった。判創こうや注射等のテストがあり、手術間近になってきた。夕方、原田さん来院、商品券頂く。令子ちゃん来院、寝巻買って来てくれる。君子叔母様、ガーゼの寝巻沢山持って来て下さる。
- 七月二十一日
今朝生理になる、案じていたことが事実になってガッカリ。お風呂は、明日入れてもらうことになった。昼過ぎ、主人と田中先生に手術の説明をお聞きする。後は、運を天にまかせせるのみ、先生宜しくお願いします。
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- 七月二十二日

午前中、胸から背中・腕の剃毛をしてもらう。その後、お風呂で洗って頂く、手術に際して、色々細かい事を調べに来られる。夕方、ステロイドの注射して下さる。主人朝来院、病室の方に差し上げるソックス持って来てくれる。令子ちゃん、私がリハビリ中に来院、お花を花瓶付きで持って来てくれる。夕方、又、主人来院、機嫌良く喋って帰る。ソックス皆様にお渡しする。小永さんも喜んで下さったのに、一五分后ぐらい、急にけいれんおこして、脳卒中をおこされ、皆、びっくりした。二〇分后ぐらいに気がつかれたが、皆心配で寝られそうにないが、私は眠剤をもらってよく眠らなきゃ、明日に備えて。
米澤のおじいちゃん・安島のおじいちゃん・おばあちゃん、家で留守を守って下さっているおばあちゃん・お父さん・子供達、みんなに守られているから、安心して手術を受けられます。みんなありがとう。
- 七月二十三日
朝八時半頃、おばあちゃん・主人・子供達来てくれる。手術着を着て、九時過ぎみんなに見送られて手術室に入る。すぐ手術台に乗せられ、麻酔の先生が腕に注射をして、口を大きく開けさされ、のどに管を入れて鼻にどろっとしたものを入れて管を入れ(ものすごく苦しかった)深呼吸を三回程したら、何もわからなくなった。目が覚めたら六号室のベッドに寝ていた、幸子姉さんがそばにいて下さったので、時間を聞いたら二時半だった。手術した腕は、痛みは無いがギブスがつけてあるので重くて、重くてお尻も痛くて、夜中は八度程熱が出た為、水枕をしてもらったり、二十〜三十分おきに看護婦さんが来て下さって、血圧は測ったり、お茶を飲ませて下さった。主人が、横のベッドで泊まってくれたが、寝られなかったと思う。
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- 七月二十四日

朝が、とても待遠しかつた。傷の痛みは無いが、重みとお尻の痛いのには閉口した。身体をちょっとねじって、お尻をあっちりこっちやりしてたら少し楽になった。ステロイドのせいでリューマチの傷みもなく、大分楽になった。包帯交換の時、ガーゼに血がベッタリついていたが痛みは無い。昼前、令子ちゃん来院。夕方、君子叔母様来院。
- 七月二十五日
リューマチの痛みもなく身体はラクダ。昼前、晶子ちゃん、ハムスター連れて来院、二時過ぎ迄いて下さる。夕方、美知子叔母様来院、原田さんご夫妻、花籠持って来院。
- 七月二十六日
個室なので一人退屈していたら午後、奥村さん来院。
- 七月二十七日
朝十時頃、七号室に移る。リューマチの人が三人おられるので心強い。
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- 七月二十九日〜八月四日

点滴の注射が、入らなくなって来て先生も大変だけど、私もいい加減いやになってきた、でもまだ肘の所から液が出ているとかで、抗生物質と薬は続くそうだ。
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- 八月六日
手術後二週間目で抜糸、チクッとする程度だったが、田中先生が肘をグーッと曲げられた時の痛いこと、これから毎日曲げられると思うとこわい。
- 八月八日
毎日、包交の度に曲げられて悲鳴をあげている。肘のレントゲンを撮ってもらった。きれいに入っているそうだ。
- 八月十日
月曜日で所長回診があり、案の定所長さんに肘を曲げられ、田中先生に曲げられて、汗をかいた。明日より、PT開始ということで植田先生と吉本先生も来て下さった。
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- 八月十一日

今日よりPT開始、但し右肘以外、足が重くて痛い。
- 八月十四日
お盆で本当は、おじいさんのお墓詣りに行きたいが、とても行ける状態ではないので帰らなかった。
- 八月十八日
OT開始、やりかけのかご作りと肩のリハビリ。PTでいよいよ肘のリハビリ開始、徐々に曲げられるが最後は痛い。二時過ぎ主人に来てもらって二十七日の膝洗浄の説明を聞く、股関節の状態が悪いから来年ぐらい手術したらどうかとのこと、それには体力を付けなければいけないそうで高タンパクの食事を食べなさいとの事、家に帰ったら主人にやかましく言われるだろう。でも手術はしたくない。
- 八月二十日
PTのリハビリもだんだん厳しくなってきた。肘を曲げられるととても痛い、九十度迄曲げるのがなかなかだ。肘の傷口からの血も相変わらず少し出ている。
- 八月二十一日
夕方主人が来て、外泊許可の返事をしなかったと言ってものすごく叱られた。毎日でも電話しろだの、礼状をまだ書いてないだのさんざん皮肉を言って帰った。のんびり養生させてもらっている身で、何も云えないがあんなにやいやい言われると悲しくなった。同室の方も、厳しい御主人やなと驚いておられた。
- 八月二十二日
昼過ぎ、主人に迎えに来てもらって家に帰った。久し振りの雨が降って来る。玄関前(お地蔵さん)に、地蔵盆の床几が出て町内の人がおられたが隣の優子さんが、聞いて下さったのでお蔭で元気にしてますと言った。幸子姉さんと朋子ちゃん夫婦が来られて、先に工芸会に見学に行かれたてその後、家でカナダの土産話や静岡の話を聞かしてもらった。夕方近く、千草さんが来られて、いろいろ御主人の話聞かせてもらって、大変だなと 千草さんも気の毒だなあ、それに比べたらうちの主人は、気難しい所はあるが、いい主人で幸せだとは思い乍、ポンポンと怒られると腹が立つ。
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- 八月二十三日

夜中、あまり眠れなかった。朝6時頃、座薬入れてもらったので起き易かった。昼は、食べたいと思っていたそうめんで、夕食は、ちらし寿司とかつおのお造りでたくさん食べて満腹になった。台所仕事はなんとか出来そうだが、足が痛くて階段が上がれないし、長時間ウロウロ歩いたり立ったりは出来ない。夜八時前に、病院に帰った。
- 八月二十四日
朝十時頃、寿代が御礼状をワープロで、打ってくれたのを持って来てくれた、直す所があったら直して二時迄に、工芸会に電話するようにとの事で十二時半頃、電話したらもっと早く電話したらいいのにと又、怒られた。その後、岩田さんが来て下さった。岩田さんも交通事故で唇の下を切って親指も千切れそうになったらしい、まだ後遺症があるとのことだった。PTで肘を曲げる時、しゃべって気をまぎらしていたら、あまり痛くなかった。九十度は痛みなしで曲がるようになった。
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- 八月二十五日

昼頃、君子叔母様来院。昨晩、東京の田中さん兄妹が来て下さったこと報告。夕食の時、原田さんがケーキ持って来て下さり、夕食食べさせて頂いた。ケーキを同室の方に分けて、残り寿代に取りに来てまらった。
- 八月月二十六日
明日の手術の為に、朝剃毛の後、お風呂で綺麗に洗ってもらって、さっぱりした。昼御飯の後、所長さんが肘の曲がり具合を見に来られて、グーと曲げられ口まで届くようになると云って、何度も何度も曲げられあまりの痛さに涙と汗が出て来た。しかしそのお蔭でおでこ迄届くようになった。同室の方もあまりの痛がりように同じように、涙ぐんでかたずをのんで見守って下さったようで、よう辛抱したかいがあって曲がって良かったなあと 喜んで下さった。
夕飯の後、正隆が来てくれた。千葉のお姉さんからブラウス二枚とパジャマを送って来て下さったのを持って来てくれた。手紙に手伝いも見舞いにも行けずにすまないと書いてあり、本当に嬉かった。お姉さんから、手紙をもらうのは初めてだったのでそれだけ、私を心配して下さっている気持ちが有難たかった。
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- 八月二十七日

一時より手術の為、朝・昼絶食でお茶も飲めずみんなに同情され乍、時間が来る迄横になっていた。手術室に入って腰に注射してもらい下半身がしびれてきたが、触ってる感じは皆わかるので気味が悪かった。簡単な手術ですぐ終わると思っていたのに、随分時間がかかり肩や、股関節や膝が痛くなって来て、どうなることかと思ったが途中で肩に痛み止めの注射をしてもらって少し落ち着き、四時頃、九号室の個室に帰って来た。主人が待っていてくれたが、別にすることもないのでしばらくして帰ってもらった。術後は、この前の時のように点滴と血圧測定・体温計りやら、三十分おきに看護婦さんが来られて夕食もお茶を飲むのも八時迄、待って下さいとのことでのどがカラカラだったがしんぼうして、八時になってやっとお茶と食事を寿代に食べさせてもらった。夜中も一時間おきに、血圧測ったり点滴を付け変えたりで、お尻は痛いは寝返りもうてないわで、ほとんど寝られなかった。同じ日に手術した長さんなどは、片足一本付け根から指先近くまで、石膏のギブスはめられて痛い痛いと泣いていたらしいので、どんなに辛いだろう。
- 八月二十八日
夕べはちっとも眠れなかったが、今日は寝返りも打てるようになって、上半身も起こしていいことになり大分楽になった。昼前、令子ちゃんが来てくれて食事食べさせてもらった。夕方、浜野さんが退院されるので挨拶に来て下さりかわいい石鹸頂いた。香川さんは一号室に移ってしまったし、七号室は三ヒンだけになってしまった。七号室の人や、香川さん山本さんら次々とも舞に来て下さった。長さんのお母さんも来て下さり、長さんも少し落ち着いて来られたらしい。夕方、主人が左手に包帯巻いて来たのでびっくりした。仕事場でうっかり手の平を四,五p切ってしまったらしい。主人の手も傷だらけで可哀想。
- 八月二十九日

昨晩は消灯の後、朝六時頃迄痛みもなくぐっすり眠れた。こんなにぐっすり眠れたのは久し振りの事で気持ち良かった、多分ステロイドが効いているのだと思う。田中先生が包交の時、肘を曲げられたが以前よりは辛抱できるようになった。膝も曲げられたが痛みはあまりならった。明日ぐらいから、自分でトイレに行っても良いらしくヤレヤレ、股関節の痛みが心配だが、なんとか楽に歩けるようになりますように。
三時過ぎ、幸子姉さん夫婦が来て下さった。個室に移ってたので大したことないと思ってたのにとびっくりされていた。お菓子色々頂き、度々来て下さり有難いことだ。
- 八月三十日
今日はもうベッドから降りてトイレに行ってもいいのかと思っていたが、まだ今日一日はベッドから降りられないとかで退屈だった。三時頃、おばあちゃんが来て下さった。給料計算のことだが、先月分のを見て下さったらわかると思うがそこがやっぱり年で忘れておられたみたい。早く帰って帳面づけもしないとそこ迄、おばあちゃんに負担かけられないからあせってしまう。寿代はプールに泳ぎに行ったらしい、折角買った水着だもの、利用できて良かった。明日はベッドから降りて七号室に戻れる、みんなと一緒の方が楽しい。
- 八月三十一日
夏休みも今日で最後。朝食と排便の後、七号室に戻る。所長回診の時、覚悟していたがそれ程でもなく良く曲がるようになったと感心しておられた。その後、主人が来院、武田病院で精密検査をしてもらい、木曜日に結果がわかるそうだ、どこも悪くなければ良いが。正博さんの結婚費用を西陣で借りることについて、私がよくのみこんでおばあちゃんに説明しろと又、大きな声でポンポン怒りながら云うが、自分がおばあちゃんにわかるように説明してあげたら方が早いのに、自分は同じ屋根の下にいてもろくに口も聞かないでと腹がたったが例の如く黙っていた、本当に難しい人だ。
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- 九月一日

今日から二学期、子供達は宿題できているのかな、いつからお弁当が始まるのか、なるべく遅ければよいのに。包交の時、田中先生にいつ頃、退院出来るのかお聞きしたら、最低後二週間は入院との事、中頃には退院出来るよう頑張ろう。夕方主人来院、この頃の私は皆にちやほやされてわしの言うことを素直に聞かん、家の者のことを考えてない等と叱られた、別にちやほやされているわけではないのに、何であんな言い方するのか悲しい、でもゆっくり養生させてもらってるのだから、主人の云うことは、カチンときても素直に聞くようにしよう。
- 九月二日
隣のベッドに新しい患者さんが入院して来られた。佐野さんと言う方で、股関節の手術をされるそうだ。今日は入浴の日だったが入れないので、令子ちゃんに洗髪してもらい、身体もむいてもらってさっぱりしたが、生理中なので気持ちが悪い。
- 九月三日
OTに行って、パジャマの脱着の練習をしていたら主人が来て、しばらく見ていたが帰り際、検査の結果どこも悪い所はなかったと言ったので安心した。
- 九月四日

OTにいたら倉橋さが、来て下さった。お風呂の入り方等、教えてもらったり、籐の皿作くるのを見学して,PTの訓練をしばらく見学して帰られた。夕方、寿代が洗濯物を持って来てくれた。明日午前中に帰ることを、伝えてもらうよう言っておいた。
- 九月五日
朝食が済んでから家へ、帰る用意をしていたら突然婦長さんが一号室に、移って下さいと言われ懐かしの一号室へ帰った。以前から知っている人ばかりで良かった。家に帰ると早速、小切手切ったり、賞与の計算等で忙しかった。おばあちゃんも、もう限界らしい。その後、十日程だと思うし頑張ってお願いします、でも歩くのがしんどいし家へ帰ってもあまり用事が出来ないし、こまったなあ。
- 九月六日
お昼前、正博さんと婚約者の方が挨拶に来られた。一七四pもある背の高い人でちょっと驚いた。十月九日に結婚して、北海道へ新婚旅行にいくそうだ。正博さんももうすぐ三十だし一安心だ。夕方五時より、寿代のピアノの発表会が十字屋であり、お父さんにおんぶしてもらって三階まで上がったら、丁度寿代の発表が終わった後で残念。一部が終わってから下で、食事をして病院に帰ることにして、主人に送ってもらった。
- 九月七日
今朝より、股関節の痛みをやわらでる為、けん引することになった。思ったより重いという感じはなく、股関節が幾分か楽になった。所長回診で、右手の指が伸びるよう、装具を作ってもらいなさいと言われた。手で顔が、洗えるようにと云うことらしい。
- 九月八日

夜中けん引している為、あまりよく眠れなかった。OTにいる時、野村さんのおくさんと等君が来て下さって、PTも見てから病室に戻り果物を頂いた。等君が私の手をつないで引っ張ってくれたり 帰る時、握手したりとってもいい子で、こんないい子がなんで知恵遅れのような障害を、持って生まれてきたのだろうと、不憫で思わず涙ぐみそうになった。健常者の方が、いろいろなことに染まり汚れていったりして、いやな面をたくさん持っているようで、思わずこちらが恥ずかしくなる。
- 九月九日
夕方、膝の抜糸と肘の包帯をはずして下さった時に、十五日に退院してもよいかお聞きしたら『いいよ』とおっしゃったので、リハビリはとたずねたらもう少し、リハビリした方がいいから、今月一杯いなさいと言われた。又、おばちゃんにお世話になるので申し訳ない。
- 九月十日
昼前、川村電機屋さんの奥さんが花束持って来て下さった。エレクトーン十五年も続けているそうだ。健康の為、夜一時間程歩いて丈夫になったと言われた。
夕方主人が来て、十九日の法事に連れて行ってやると言われていたが、ホテルに泊まったらいいから、令子ちゃんに聞いてみなさいと言うので電話したら、しばらくして電話があって、福井駅前のホテルが取れたから早く主人に知らそうと堀川に電話したら、おばちゃんが出て、そんなことは一言も聞いてません知りませんと、えらいご立腹だったと言われた、主人が一言言っといてくれればいいものをと思うが、相変わらずおばあちゃんらしい言い方やなぁ
- 九月十一日

昼前令子ちゃんが来て、昨日の電話のことを言っていた,「私は、女中と一緒です」なんて言われたらしい、たしかにおばあちゃんには楽させるどころか、世話ばかり掛けてしたいこともしてもらえず、本当に申し訳ないと思っているが、そんな風に思っていて下さったのかと思うと悲しい。夜、七時半頃、テニスの藤原さんが来て下さり、お花と果物頂いた。
- 九月十二日
十時半頃、家に帰った。十五日迄外泊なので、その間少しでもおばあちゃんに楽して頂こうと思うが、足が痛くて身体が思うように動かない。幸子姉さんが、上桂の掃除に来て下さって夕方帰られたとの事、いつもお世話になって申し訳ない。
- 九月十三日
子供達は、クラブで昼から出かけてあまり手伝ってもらえず、食器洗い等は何とかできるが食事の仕度は、しんどくて思うようにできない。
- 九月十四日

とにかく足が痛い。右の股関節が痛くてやっとのことで歩いている。病院ではもっと軽く歩けたのに、家ではとても歩きにくい。
- 九月十五日
敬老の日だから今日は、一日何もせずにゆっくりして頂こうと思っていたのに、希代子と寿代は朝からクラブへ行ってしまい、結局おばあちゃんに洗濯や掃除してもらい、プレゼントも買いに行けず、気の毒なことをした。夜病院に帰る時、寿代に肩たたきして上げるように、言っておいたがしたかどうか、病院に帰ったら、やれやれと疲れがどっと出た感じ、退院したら、やれやれと休息する所がなくなるし、先が思いやられる。
- 九月十六日
今日は、疲れが出て何もするのがいやだった。夕方ぐらいから少しましになってきた、やっぱり病院の広い所を歩くのと家の中を歩くのとでは、大分違ってそんなに歩きにくいことはない。田中先生が来週中に、退院して下さいと言われたので、二十六日の土曜日ぐらいに退院しようかな。
- 九月十七日

退院はやっぱり二十六日に決めた。同室の佐々木さんと七号室の白石さんも、退院されるそうだ。看護婦詰所とお世話になった方々に、どんな御礼をさせて頂いたらよいのか迷ってしまう。退院して、初めての診察日が三時の水曜日なので、月末だし困ったもんだ。
- 九月十八日
夕食すんでから山本さんの息子さんに、車に乗せて頂いて帰った。
- 九月十九日
朝七時半頃、家を出て十一時頃、安島に着いた。二俣さんは、京都の帰りだそうで、いろいろ準備を手伝って下さっていたが掃除やおみがきや、花立ては、みんな同朋会の人がして下さってたそうで、本当に有難いことだ。十二時から、御勤めをして、三上先生のお話を聞かせて頂き、御兄ちゃんが御礼の挨拶をして終りお弁当を頂いて、お墓お参りして四時半頃、二俣さん、兄夫婦・新保のおじさんやおばさん達に見送られて、令子ちゃん家族と一緒に、八時頃京都に帰った。
- 九月二十日
足が痛くて思うように、動けないのでお茶碗洗いと、晩御飯の仕度を少し手伝っただけで 何もできなかった。退院しても、この調子どころかますます股関節が痛くなってきそうで、先が思いやられる
- 九月二十一日
今日は、お風呂日でゆっくりお湯につかれて気持よかった。二十六日に一緒に、退院される佐々木さんと白石さんに相談して、三人で一つの花束を差し上げることにした。六階に、一遍も行ったことがないので、今日山本さんと一緒に見学に行った。
- 九月二十二日

主人から時間のあいている時は、自主トレするように言われたので午前中、カっ車で肩と肘の運動をした。小山さんが来院されていて、昨日より店を再開したとの事、よく頑張れるなぁ見習わなきゃ。
- 九月二十三日
今日は、祭日でリハビリお休みだし隣の労働会館の地下へ、おいしいもん食べに行こうということになって、一号室全員連れだって車椅子や杖を便りに、ヒョコタン・ヒョコタン歩いて食堂へ行き、ケーキとコーヒ−食べて帰って来た。外を歩くのもいいリハビリになつたと思うが、見ている人はおかしかっただろうと思う。御彼岸なのに、お墓参りもできずご先祖様、おじいちゃん申し訳ございません。
- 九月二十六日
退院、おばあちゃんが栗赤飯をつくって下さった。帰っても何もできないのでよろしくお願いしますと言ったら、がっかりしていた。そりゃがっかりもするわ私自身、元気になって帰るはずやったが、前よりもっと悪くなって帰ったんだもの、泣きたい気持ち。
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