|容子経歴|容子日常生活|容子日記| |
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【日記の原本】 |
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第1回目の日記 昭和六十二年七月三日〜六十三年七月十七日 |
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- 昭和六十三年一月一日
昨日は、最後の方まで紅白見せてもらって、十二時頃床についた。朝七時二十分頃、日の出がありとてもよいお天気になった。朝ごはんは、もち麩の白味噌汁や、なます・ごまの黒豆・かまぼこ・ほうれん草等の、お正月料理だった。お昼は、お造りや、蛤のお吸い物等が出て、丁度、お父さんと子供達が来てくれて、ごちそうだなあとびっくりしていた。家からの、お節料理も持って来てくれたので、少しよばれた。お年玉も、私から渡すようにとお父さんから預かって子供達に渡した。おばあちゃんや稔さんからも、たくさんもらってごきげんだった。四日から、希代子と寿代はクラブがあるらしい。正隆には、三日まではゆっくりしていいけど、四日からは頑張りなさいよと言っておいた。私も、リハビリ頑張って早く歩けるようになりたい。
- 一月二日
浜野さんが、昼からお里のお母さんの家に外出されて梶川さんと二人だけになった。二時頃、田中先生が来られて私の傷はもうきれいになってるいので、ガーゼは取って大きなかさぶたの所だけ バンドエイド貼って下さった。梶川さんもやっと抜糸してもらい車椅子に乗ってもよいことになり喜んでおられた。テレビを見ていたら、令子ちゃんが来てくれた。洗濯物の代わりがないといけないだろうからと、紀ちゃんと康ちゃんと一緒に来てくれた、紀ちゃんと康ちゃんは車椅子が面白くて遊んでいた。4時頃、植田先生が、ひょっこり来て下さってリハビリして下さった。ひょっとしたら、前に二日に初詣に京都に来たついでに、寄るかも知れないと言われていたので、来てくださるかも知れないとは思っていたが、もう夕方になっていたのでそんな事忘れていたので、本当に来てくださったなあと嬉しくなった。又、体重計に乗って立って見たが、やはり右は重心がかけにくくまっすぐ立てない。足首が曲がっているせいだと思うけど、左にあまり重心かけたくないし困ったもんだ、困ると云えば生理になってしまい、タンポンが自分で入れられないし、今だに尿器を自分だけで使えないのが困る。
- 一月三日
生理がきつくなって来て、看護婦さんにタンポンを替えてもらうの気がひけるが、自分ではとてもできそうにない、早く終わってくれたらいいのに、五日間ぐらいはあるから次のお風呂日に入れなかったら嫌だなあ。昼からおばあさんが来て下さった。ショートコートも上品で良く似合っていた、幸子姉さんが買われたカーデガンが地味だからと、おばあちゃんがそれをもらってお金を払ったそうだが、渋い紫色で暖かそうだった。年寄りくさくなく気持も若返るから、少し派手かなと思うぐらいの着る方がいいと思う。香川さんが、ひょっこり来て下さった。あの方は楽しい人だから病気の話しても陰気くさくないのがいい、クッキーをたくさん頂いたので少しおばあさんに持って帰ってもらった。明日昼から、幸子姉さんと君子叔母さんと一緒に、賢島へ行かれるのでいい天気になったらいいのに。
- 一月四日
心配していたお天気は、あいにく雨になった。今日から御用始めで、午前中植田先生が練習に来て下さった。かかとをちょっと持ってもらったらわりと楽に足が上がった、左足は無理して動かさず、大事に使うようにしようと言われた。昼過ぎ、稲垣さんが帰って来られてお互いに休み中のことを話してはなやかになった。今日は、あっちもこっちもぼつぼつ帰って来られる人がいて賑やかになり、看護婦さんもいっぺんに急が忙しくなったみたい。浜野さんとお餅の話をしていたらこかじさんが、食べたかったら出前でもたのんだらなんて言って下さったものだから早速、稲垣さんの娘さんに電話でおぜんざいをたのんでもらい、梶川さんと稲垣さんはいらないと言われたので浜野さんと二人で食べて満足した、これに味をしめて又、なんかたのもうかなんて言って笑っていた。車椅子も少しはましにこげるようになったので、トイレも早く自分で行きたい。今日、長さんから年賀状もらった。上手に龍が書いてあり、メッセージもなかなかうまいこと書いてあり嬉しかった。
- 一月五日
寿代が、家に帰っても話相手がなくて淋しそうだし、お母さんがやっぱり家にいてくれないと 家の中がうまくいかないし早く帰って来てと言っていた。みんなに淋しい思いをさせてごめんね、早く杖なしで歩けるようになって三月には帰りたいけど、膝と足首が痛いし左の股関節も痛くて立ち上がりにくいし、方向転換が出来ないし、歩けるようになるのか不安でしょうがない、寿代にちょっと痛い云うたら心配していた。リューマチ様、静かにしていて下さい、明るくケラケラしているけど、それを思うと落ち込みそうになる。
- 一月六日
今日は、三階に下りて訓練をした。仰向けで、足を上に高く上げる運動をしたが 除々に高く上げられるようになってきた。平行棒に肘を乗せて立ったら、やっぱり右の足が痛くて、左足を上げようと思っても上がらない、右の足首はもともと悪かったのが、股関節が悪くなって重心を左にかけるようになった為に 足首が楽になっていたのだと思う、折角 股関節の痛みがなくなったのだから、なんとか杖なしで歩けるようにならないかな。OT室で、猫の作り方を聞いて 他の人にも教えて上げてと言われてたが部屋に戻ったら忘れてしまった。OT室からの帰り、レントゲンを撮ってもらうよう言われ、股関節のレントゲン二枚撮ってもらった。軟骨できているかしら、見せて欲しいな。夕食前、君子叔母さんが、賢島の帰りだと言っておだんごのお土産持って来て下さった。おばあちゃんは、あっちこっち見て回るのは疲れるからと、殆ど、どこへも行かず旅館でのんびりしていたらしい。少しは、骨休みになったら行ってもらった甲斐があるけど、帰ったら又、忙しい毎日が待っているから大変だ。
- 一月七日
今日は、稲垣さんの手術日だった。九時二十分頃、病室を出られて一時過ぎに六号室に戻って来られた。無事に終わって良かった、経過が良ければよいが、多分良いだろうと思う。午前中、浜野さん・間宮さん・長さんの三人が一号室に移られて、梶川さんと二人だけになって又、淋しくなった。明日、入院患者さんが来られるそうだけど、私も一号室に行きたい。PT室では、平行棒に肘を乗せて少し歩く練習をしたが、足が床から離れなくて引きずって歩いた。
- 一月八日
寿代が来たので寿代に着替えさせてもらったり、おしっこを尿器で取ってもらったりした。お年玉で懐があったかいものだから、アバンティで服買ったりソックス買ったりしているみたい、まあ自分のお金で考えて買っていることだし、多めにみよう、学校が始まって又、忙しくなるだろう。テレビを見過ぎないよう言っておいたがちゃんと守るだろうか、目が悪くなったら不自由だから、せっかくのいい目を大事にして使ってもらわなくちゃ。洋子から又、長い便りが届いた。主人や子供達が、ちっとも手伝ってくれないとぼやいていたがうちだって同じこと言ってぼやいているけど、うちは良くしてくれる方だと感謝しなきゃ申し訳ない。
- 一月九日
昼前、稲垣さんが七号室に戻って来られた。心配していた出血もあまりなく、痛みもとれて本当に楽になったと 喜んでおられた。午後、令子ちゃんが来ている時、お父さんも来てくれた、車椅子が火曜日に来るとかで 用紙とはんこを持って来てくれた。一月の末かと思っていたが早く持って来てくれることになってうれしいが、ぴったりと合うといいけど、土・日は練習もないし、たいくつだけど 稲垣さんも帰ってこられたし、車椅子に乗ってウロウロできるからましだ。
- 一月十日
尿器で、尿を取る練習をしているけど手の力が弱いからなかなかうまく行かない。自分でやってみたらなんていわれるとあせって、なんとか自分でやってみようと思うけど、失敗してお布団ぬらすの一・二回はやったけどそう何度も失敗できないし、やっぱり無理見たい、早く松葉杖つけるようになりたい。早くトイレ一人で行けるようになりたい。もう術後一月以上もたったのにまだトイレ取ってもらっているのは私ぐらいもものだから気がひける。夕方、希代子とお父さんが来てくれた。正隆の北大路テストの結果、伏工希望者の五十人中八番だったとかで折角あきらめたのに又、迷ってしまうと言っていた。十五日が最終決定日らしいので、それまでに決めなきゃならないから難しいところだ。希代子に、おばあちゃんにセーター編んでもらったらしくお礼の気持ちとして、何か買って上げたらと言っておいたがちゃんとするだろうか、お父さんにも手袋ぐらいプレゼントしたら喜ぶと思うと言っておいた。
- 一月十一日
所長回診の時、股関節の方は良くなっているが、軟骨が出来てないので、せいぜいけん引するように訓練室で右足を振るようにと植田先生が言われた。PTで歩行器を使って歩いてみたが、足に力がはいらないからすごく疲れる。左足もこの頃、股関節と膝が痛くて心配になってくる。
- 一月十三日
午前中、令子ちゃんとお兄ちゃんが一緒に来てくれたのでびっくりした。昨日、京阪ホテルに泊まったらしく、京都にもお得意さんが出来たそうでそこを回って福井へ行き、向山さん家にお参りして大野さんへ回って帰られるそうだ。向山さんは米寿で九十才近くだったそうだ、一万円お仏前ことづけたが、お兄ちゃんから小遣いにと二万円頂いた。長野でリンゴとお菓子を買って持ってきてくれたので、お菓子だけ頂いて皆さんにお分けしたが、リンゴは頂いたつもりと言ってお返ししておいた。堀川の家に、これから寄るからと言って、堀川の分のお土産も用意してきたからと言って帰った。一年以上も会っていなかったので、久し振りに会ったらだいぶ白髪がふえていたのでびっくりしたが、元気そうで仕事も順調そうで安心した。お隣のおじさんとおばさんが、韓国行って道でころんで腰の骨を三本も折って韓国の病院に入院しておられるそうだ。今週の連休ぐらいに、養三さん夫妻が迎えに行かれるらしいが、他国の言葉もわからない病院で心細いだろうな。
- 一月十四日
PT室に火・木は、一時四十五分に来るようにと云う事で行き、訓練していたら、所長さんが来られて膝も足首もそんなに悪くないんだから、歩けるようになるよと言われた。今の状態では杖なしで歩けるようになれるか、あやしげな気もするがなんとしても歩いてみせるという気で頑張ろう。
- 一月十五日
お父さんが、たこ焼き持って来てくれたので、長さんや稲垣さん・梶川さんに召し上がってもらったらおいしいと言って喜んで下さった。今日も仕事だったのに 前に、持って来てくれるなら三時頃がいいなと聞いていたのでわざわざ持って来てくれたので嬉しかった。お父さんにも歩行器で歩く所を見てもらったがお尻が出てるからもっと胸を張って歩く 練習をするように言われ、そのようにしたら足が前へ進まず、お父さんは無理して歩かんでもいいと言っていた。でもお父さんが来てくれる度に、上手に歩けるようになったらいいなあ。
- 一月十六日
午後、歩行器で訓練しようとしていた所へ、お父さんと正隆が来てくれた十八日に最終的に志望校を決め、願書を提出しなければいけないので今日、お父さんが学校へ行って相談して来たそうだ。それによると南京都が60パーセント・両洋が40パーセントの確立だそうで、南京都か両洋を専願にするか、南京都と伏工を併願するかのどちららだと言われたらしくどうしょううかと迷った挙句、両洋専願にしようかと言うことになったが、明日、私学の模試があるそうで、明日試験受けてみてからにしようかと言うことに決めた。たぶん両洋専願になると思うが伏工もなかなかあきらめずつらいところだ。でも正隆も少し明るくなったようで安心した。
- 一月十七日
昼食を食べている時、忍さんが来て下さった。主人も来てくれて、冗談ばかり言って相変わらず明るい方だ。一昨年、御主人をガンで亡くされ大変だったと思うが、やっぱり生長の家の幹部をしておられるだけあって、精神的に強い方で何でも喜びに変えて生きておられる処は見習わなくてはと思う。
- 一月十八日
お父さんと正隆が来てくれたので、今日は肩の運動なしで終わって廊下で、お父さんと正隆と話をした。お父さんもこのところ毎日のように学校に行って進路相談をして来て大変だ。結局、伏工と南京都の併願で行くことにしたそうだ、いちかばちかと云うような不安定な決定なので本当に心配だ。どうか南京都だけでも受かりますように、お母さんも早く歩けるように頑張るから、正ちゃんも精一杯の努力をして頑張れ
- 一月十九日
PTで 平行棒で足を振る訓練をしていたら、チャンバラトリオの山根さんの訓練風景をテレビで取材していた、山根さんもとても頑張って良くなられた。訓練がすんでから退院されたが、いつも元気よく聞こえていた(おはようございます)の声が聞かれなくなって淋しくなった。いつ放映があるか知らないが見たいものだ。
明日より、トイレは松葉杖で、洗面は車椅子で行くことになり夜、トイレへ行って、洗面(歯磨き)をした、やっと自分で自分でっできるようになりほっとした。隣のベッドに田中さんという股関節を手術される方が衆院して来られた。元気な方で何でまよく手伝って下さるので頼もしい。私も元気になってお人さんのお世話ができるくらいになったらいいのになあ。
- 一月二十日
お風呂日で、エレべーターバスに入れてもらったが、ぬるすぎてシャワーをかけてもらって上がった。洗濯物がいっぱいあって令子ちゃんに申し訳ない。昔のことを思い出すと悲しくなったり腹がたつけど、今はみんなに迷惑かけてお世話になってるのだから、そんなことは水に流そうと思う。昨日、病院へゴンチャンから電話がかかったそうだが私は電話に出られないからと、看護婦さんがそう言って下さったそうだ。でも私から電話かけられないし、多分私の様子聞いて下さったんだと思うけど。
- 一月二十一日
PTの植田先生お休みだったので、ベッドで自主トレしてちょっと遅めにPTへ行き、多田先生にチョコチョコと訓練してもらいOT室へ行ったら、吉本先生はOT室前のトイレが水浸しになっているので、それの掃除というか新聞紙しきに行ったりで殆んど一人でマクラメ編んで終わった。マクラメなかなかむずかしいけどおもしろい。
- 一月二十二日
昨晩は、両足が痛だるく何度も看護婦さん呼んで、横にしてもらったりけん引はずしてもらったり、それでもまだ痛だるくて包帯も全部はずしてもらったりしたが、なかなか痛みが取れずよく寝られなかった。朝起きた時も、肩や肘、膝とあっちこっち痛くて朝トイレ行くのはとてもしんどかった。松葉杖で歩きだしてあっちこっちの筋肉を使い出したからだろうか、お天気が悪いせいかも知れんと。矢沢さんも痛い痛いと言ってらした。
- 一月二十三日
矢沢さんと田中さんが、昨夕より外泊されたので病室は又、三人となり淋しくなった。最近昼間でもけん引していると、股関節や膝が痛くなってはずしてばかりいる、中山先生が来られたので、お聞きしたら股関節の周りの筋肉が固くなってきているからでしょうとおっしゃった。午後、吉本先生が電話の受話器を置く棒を作って来てくださった、受話器をはさむ所が皮でしてあり、家の模様が彫ってあって色付けしてあり凝った物で思わず感動してしまった。吉本先生にはいろいろな自助具を作ってもらい、本当に感謝している。今朝起きる前に、座薬を入れてもらったので朝トイレへ行く時、幾分かましだった。これから毎朝入れてもらおうと思う松葉杖をつき出してから肩もいた痛くて昨晩は湿布してもらった、温かい湿布してもらいたいが、田中先生の許可を得なければいけないそうだ。
- 一月二十四日
三人だけの日曜日で退屈していたが、昼から一号室に遊びに行った。六号室には、猫や小動物の手芸品やかわいいハイハイ人形等が飾ってありとても華やかだ。浜野さんも間宮さんに習って二つ目のハイハイ人形作りかけておられ、不自由な手でえらいなあと思う。私も作ってみたいが、今マクラメでベルト作ってるしそれだけで結構疲れてしまうので、今はちょっと無理だ、夕方主人が来てくれた。隣のおばさんの御見舞二万包んで行って来たそうだ、那須さんのお兄さんが亡くなられて明日、密葬があるらしい。森田先生が正隆のこと、両洋の専願にしたら良かったのにと言われたそうだ、でも今更変更は出来ないし、なんとかまぐれででもどちらかに受かって欲しい。どちらもダメだった時の事を考えるといこわいどうかどうか受かりますように。
- 一月二十五日
洋子から又、長い便りが届いた。五枚もいろいろな事が書いてありうれしかった。私にも何日もかかって長い便りを書くようにと書いてあったので、今度からは便箋で書こうと思う。左足の股関節と膝が痛くて不安で仕方ない、確実に悪くなってるようなきがする、なんとか杖なしで帰りたいのにとても無理かも知れない。夜 家に電話したら、隣のおばさんの御見舞や、那須さんのお葬式に行ったりで忙しいとおばあちゃんがぼやいておられた。正隆もちゃんと勉強しているかどうかわからないし落ちたらどうするつもりか、とか早く元気になって帰って来てと言われて、三月中頃には帰れると思うけどと言っておいたが、それまでに歩けるようになりますように。左足が、股関節と膝が痛くて不安で仕方ない、確実に悪くなってるようなきがする、なんとか杖なしで帰りたいのにとても無理かも知れない。吉本先生が作って下さった、受話器の支え棒ちょっと使いにくい、ダイヤルも左手でボールペンで回すのはしにくく、あんまり電話かけられそうもない。
- 一月二十六日
昨日は、丹羽さんというおばあさんが肩の骨折で入院されて、今朝は梶川さんが一号室に移られた。明日は山本さんが入院して来られるそうだ、私はいつ一号室にいくのだろう。PTで訓練している時、君子おばさんが来て下さってずっとそばで見ていて、いろいろ関心していた。私もリハビリしているところ見て頂いて良かった。みんな君子おばさんと私と似ているから、姉妹に思われる。明日、お風呂の日なので階段上がる練習したら何とか歩けた
- 一月二十七日
今朝、お風呂に入るのに松葉杖でなんとか階段上がれて、湯舟にも看護婦さんにかかえてもらい乍、なんとか入れて気持ち良かった。身体が軽くなったような気がして病室に戻ったら、所長さんがレントゲンをとりに来るよう言われレントゲン室へ行った。五キロの重りを下げたり、所長さんが引っ張ったりしてくださってレントゲンをとってもらったところ、少し軟骨が出来てきたからもっと頑張ってけん引したり、足振りをするように、左足の股関節も悪いから手術しなさいと言われた。左足もいずれ手術はしなければならないが、今はしたくない。続きにしたり何ヵ月後に再入院とかだったら又、おばあちゃんに負担をかけてしまうから、おばあちゃんが嘆くことが目に見えているから、何とか一年以上は持って欲しい。夕方、寿代が来てくれたが洗濯物持ってくるの忘れて、がっかりした。又、あさって持ってきてくれるよう頼んでおいた。セーターの刺繍がイメージしてたのと全然違うから希代子がやり直すらしいが、おばあちゃんもせっかく刺繍したのに気に入ってもらえず腹が立つことと思うが、希代子と寿代もいかにおばあちゃんを傷つけないですむか頭を悩ましているらしい。
- 一月二十九日
この頃、けん引していると手術した方の足がつっ張って痛くて昼間でも辛抱できない時があり、夜中もちょいちょいはずして、もらってダメだなあ。朝、トイレに行ったら生理だった。今月始めにあったのに量が少なかったからかも知れない、看護婦さんのお世話にならないと、トイレ出来ないので申し訳ない。夜、家に電話してお父さんに替わってもらったら、真直に姿勢を正して歩けるようになったかと聞いてくれたが、お尻はやっぱりだして歩いているし、左足痛いと正直に言ってしまつたが、心配させて悪かったかな。
- 一月三十日
生理用のナプキンが足りなくなったので、家に電話して正隆に持って来てもらった。英語の単語カードや漢字暗記しているか聞いたらしていないらしい、せめてそれだけでもやっといたら、少しは点数もとれるかも知れないのにじれったい。正隆が帰ってしばらくしたら、幸子姉さんが来て下さり、久子おばさんの御見舞に行かれた帰りだったらしい。私が、元気にしているので安心して下さった。向うのおばあさんはとうとう寝たきりになられ、オムツを当てているそうだ。心臓の方はまだ元気だから今どうこう言う事はなさそうだ。私も元気になって、いつおばあちゃんが倒れても看病できるようになりたい。
- 一月三十一日
今日で一月も終わり、ついこの間お正月と思っていたのに早いものだ。その分入試が近づいていると思うと落ち着かない。私の退院もそれだけ近づいているんだけど、三月中頃になるだろうなあ。夕食前、主人がたこ焼きを持って来てつれたので、慌てて、稲垣さんと一号室の方に配ってたら案の定、食事を配りに来られたが、竹下さんだったので何も言われなかった。主人がこの前、久子おばさんの御見舞に行った時、「公認のイイ人が いるのか」って聞かれたそうだ、妻が病気で身体が不自由だと、世間ではみんなそんな目で見るのだろうかと悲しくなった。主人もまだ男盛りいつも悪いな、浮気したっていいよという気持ちでいるけど、主人は絶対そんなことをする人ではないとも思っている。主人がわざわざ私に、それを言うということは、自分も辛抱しているのだと言いたかったんだろうと思う。夜、みんな帰って来られて賑やかになった。
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- 二月一日
朝、車椅子でトイレに行き歩行便座を自分で置き、ズボンも自分でおろして出来た。ズボンを上げるのは、指の力が弱くて出来ないので看護婦さんにしてもらったが、私としては大分進歩したと思い、そろそろ一号室に行く為の準備運動をしておかなくてはと、山本さんと話してた矢先に、突然一号室に移って下さいと言われびっくりした。練習しておいて良かった。緊急の骨折の患者さんが入院して来られた。
- 二月二日
今日はお風呂日で、松葉杖で一号室からヨッコラ・ヨッコラ歩いて行って、階段は最後の所はかかえてもらい、湯舟につかる時もかかえてもらい、先週とちっとも進歩してないとがっかりした。昨日のおばあちゃんの言葉にショックを受けて、こんなんでは家に帰れない、あと一ヶ月程で、はたしてどれくらいのことができるようになるのかと思うと、心配で落ち込みそう
- 二月三日
令子ちゃんが節分だからと、巻き寿司とお菓子を持って来てくれたのでみなさんにお分けした。間宮さんから、退院の印にとメモ用紙のかわいいのを頂いた。私こそいつもお世話になったり、お花や、くまさんのマスコット頂いたりしたので、何かお返ししなくてはと思っているが、子供達あまり来ないのでたのめない。
- 二月四日
洋子に、やっと長い手紙を書いた。いろいろ思っていること、悩んでいることを正直に書いて、少し気が楽になった。夕方、田中先生が来られたので、左足で支えて右足を振っているとガクガク、ボキボキしているけどそれでも振る方がいいのか聞いたら、振る程良いから時間を少し短くして振るようにと言われた。電気も人口関節以外の所であれば当ててもいい、プールは来週ぐらいからと言われた。夜、主人が来てくれたが、風邪気味で頭が痛いし腕がだるいと言ったので、熱計ってみたら七度四分あったし、お風呂はやめて早く寝るようにと言ったが、早く直りますように主人は無理するな、家へ帰っても台所仕事せんでもいいと、言ってくれて嬉しかった。でも現実はそんなこと言ってられない。隣で長さんが話し聞いてて優しいダンナ様やなあと言ってくれた。ホント、主人は私のこと見捨てないで思っててくれるし感謝している。
- 二月五日
午後、所長さんが来られて、この頃あまり歩いてないそうだが、ちょっと歩いてごらんと言われて歩いたら、レントゲンでは膝はあまり悪くないから手術する程ではないし、頑張ったら歩けるようになると言われた。二時頃間宮さんが退院された。お元気になられてよく歩けるようになっての退院だから本当に良かった。喜ばしい限りだ。PTにいこうとしたら、エレベーターで奥村さんの奥さんが、御見舞に来て下さりPT室前の椅子でお話して、クッキーとチョコレートを頂いた。昨年も来て下さったのに申し訳ない
- 二月六日
昼から、おばあちゃんが来て下さった。昨日五日で、病院行けなかったので、今日薬だけもらいに行っての帰りに寄って下さった。生協で買い物もして来られ重そうだった。一行寺さんから頂いた洋菓子を持って来て下さったので、みなさんに分けてもらった。今日は、長さんも福島さんも家にへ帰られたので、両脇お留守で淋しいけど、朝、稲垣さんが一号室に来られて又賑やかになぅた
- 二月七日
今日は、外は雪が降ってとても寒そうだったので、夕食後、お父さんが来てくれる迄、誰もこなかった。お父さん、やっぱり風邪で下痢してるそうでしんどそうだった。この頃、トイレが近くなってオシッコする時もれてしまう、手術後ずっともらすことなんかなかったのに、ぼうこうのしまりが悪くなってきたのか、年よりみたいでいやだな、お股もきれいに拭けないから不潔になっていまうし、時々お湯で洗いたいけどそれもしにくくて困ってしまう。夜、歩く練習をしているけど膝が痛くて、腰も真直ぐ伸びないしなかなかスッスッと歩けない。
- 二月八日
今朝、お父さんが来て、小林錺屋さんのお母さんの三回忌が昨晩、緑風荘であったのをコロッと忘れて行かなかったからどうしょうかと言ってたので、昨晩は、身体の具合が悪かったので失礼しましたと言って、御仏前持って行ってきはったらと言ったら、そうしょうかと言った。正隆の為に、北野神社へお守りをもらっての帰りだった。
- 二月九日
今日はお風呂日で、令子ちゃんに来てもらいきれいに洗ってもらいさっぱりした。この頃、風邪がはやっていて、梶川さん長い事直らなかったが、今日やっとお風呂入れたが、今度は浜野さんが風邪ひいて入れなかった。火曜日のPTの訓練一時四十五分からなのに、二時三十分まわってからやっと訓練してもらったが、肘してもらうのがつらくてやめてもらった。足振りも支えてる肘や左足が痛くてあまり出来ず悲しくなってきた。膝が痛くてけん引もつらくて、落ち込んで病室にもどったら、小梶さんに『着替え全部してもらわんと、自分で出来ることは努力してやっていかないと、いつまでたってもダルマさんみたいなもんや』と言われて益々落ち込んでしまった。でもなんとかできることは努力してしなきゃと思い、カーディガン着てみたがなかなかできなかった。
- 二月十日
昨日落ち込んでしまったが、今朝は気を取り直してパジャマとズボンとパンツ脱いで、パンツをはきズボンも半分迄はいた、でも膝が痛くてだんだん曲がってきて、伸ばすと痛くて歩いてもお尻が出て真直ぐに歩けないので悲しくなる。この頃、弱気になって来て頑張ろうと思ってもすぐ落ち込んでしまう。正隆も頑張っているのだから、私が頑張らなくてどうすると自分を叱咤激励している。
- 二月十一日
今日は、祭日で休みだし、ハイハイ人形でも作ろうかと思ったが、材料も揃ってないしあまりやる気もせず、昼からはけん引していた。昼前、希代子が長いこと来てないしと言って、ちょこっと来てくれた。相変わらずクラブで忙しいみたい。この頃、風邪が流行っているから、ひかないよう気をつけているつもりだけど、ひくかひかないかはわからない。明日はプールへ入る日だけど着替えがおっくうだなあ。
- 二月十二日
プールへ初めて入ったが、身体が軽くなって歩き易いし、陸と随分違うなと思った。水着の脱着さえなかったら、毎日でもプールに入りたい気分。夜、家に電話したら、子供達はあまり手伝ってくれないし、一人で何もかもして大変だというようなこと、毎度言われることだけどつらいなあ、家のことは何も心配せんとゆっくり養生しなさい、なんて言ってもらいたいなんて思う方が贅沢な話だな。身障者手帳がないないと思っていたら、薬箱の中に入っていた。二級に更新して下さるそうで嬉しい。正隆に頑張るよう言っておいたが何か頼りなさそうで心配だ。
- 二月十三日
土曜日で、あまりすることなくのんびりしていた。昨夜、浜野さんが咳き込んで苦しそうだったので六号室に移られた。夜中の二時頃だったがそれから目が冴えてなかなか眠れなかった。朝、様子を見にいったら元気そうだった。昼から、令子ちゃんと康ちゃんが来てくれたので、頭を洗ってもらった。この頃、膝が痛いので立ち上がりがとても痛くて、トイレに行くのがものすごくおっくうだ。毎晩、歩く練習しているがなかなか進歩せずいやになる。
- 二月十四日
四時頃、主人と正隆が来てくれたので、着替えさせてもらって近鉄ファミリーのレストランへ車椅子を押してもらって行って、主人は焼きそば・正隆には受験に勝つの意味でトンカツ食べさせたかったが、魚のフライのランチをを食べ、私は、食べたい食べたいと思っていた鍋焼きうどんを食べた。明日の試験落ち着いて頑張るように、忘れ物しないように注意しておいたが、十九日の発表まで心配だ。倍率が二・三倍らしいから、どうか正隆を見捨てないで下さい。米澤のおじいちゃん、網田のおじいちゃん・おばあちゃん正隆を守ってやって下さい。
- 二月十五日
いよいよ受験日の朝を迎え、もう家を出ただろうか、忘れ物はなかったかどうか、落ち着いて出来ただろうかと一日中気になってしかたなかった。夜、電話したらわからへんと言う頼りない返事、面接も大事なんだからはっきり言うようにと、何度も念を押したが大丈夫だろうか、私は私で立ち上がりが益々困難になり、方向転換が出来なくてトイレに行くのが苦痛でたまらない。それでも看護婦さん達は、自分で出来ることは努力してしなさいと服の着脱も頑張るように言われ、私だってなるべく自分で出来ることはやろうと、痛いの辛抱してやってるのにと、悲しくなってやる気なくなる。
- 二月十六日
今日は、良いお天気だったが雪がちらついて風が冷たそうだった。正隆の面接はどうだったのだろう。十九日の発表がこわい。
- 二月十七日
夜、主人が来て、正隆のことでやはり気が散って、手の平にケガしたそうだ。お医者さんも行かずほったらかしらしいが、化膿したりしないか心配だ。正隆のことは多分ダメだろう、他の人は皆専願にしているから併願では、おとされるだろうと言う。南京都が落ちて伏見もダメだったらどうしよう。浪人なんて本人も可哀想だし、主人だって学校の役しているし。気の毒だ。
- 二月十九日
バンザーイ、正隆合格、ああ良かった。
朝から一日中気になっていて、リハビリ終わってから家に電話したら、まだ帰ってないし受かってたら病院に言いにやらすし、行かなかったらダメだったと、思っといてって言っておられたので、七時になっても来ないし、やっぱりダメだったのかとガックリしてたところへ、主人が、正隆と寿代連れて来てくれて、受かったと聞いてほんとにうれしかった。合格祝いに食事にいくそうで、正隆も嬉しそうな顔をしていた。今日はけん引も、もうはずしていいと云うことでとってもらい、安心してゆっくり寝られそうだ。この頃、ずっと落ち込んでいたので、久し振りにルンルン気分になれた。
- 二月二十日
夕べは、けん引なしでよく眠れると思っていたのに、足がつれて痛くてよく眠れなかった令子ちゃんが午前中来てくれたので、頭を洗ってもらった。今日は、令子ちゃんの三十六才の誕生日で、先日一万円御礼の気持も込めて渡しておいた。明日から希代子は、スキーに行くらしい。修学旅行だしケガしないよう、充分楽しんで来て欲しい。
- 二月二十一日
右足真直に伸ばして、寝ていたら膝が痛くて寝返りしようにも突っ張った感じでしにくく、やっと横向きになったと思ったら肩や足が痛くなって、じっと寝ていられず、横向いたり仰向いたりで熟睡ができない。朝起きてからも、膝が痛くて立ち上がりがとてもつらく、トイレへ行くのが苦痛だ。昼からは、左の股関節が痛くて力を入れたり身体をねじったりするのも痛い。一体、私のリューマチはどこまで行ったら気がすむのか腹立たしい。夕方主人が来てくれた時、股関節が痛いと言ったら、無理するな、なるべく長く病院においてもらって養生するように言ってくれて、お父さんの気持ちは有難いが、そう甘えてばかりもいられず、主人の気持ちに報いる為にも早く元気になりたい。家も先生方に見てもらって、直せる所は直したらいいからと言っていたが、私が歩けるようにならないことには、直した所だけになりそうだ。
- 二月二十二日
所長と回診で、肘をおでこまで曲げて下さって痛いのなんの、でも所長さんにこれをしてもらいたかったのだから有難く思わなければ。でもその後自分でやってみたが痛くて、とてもおでこまではとどかない
- 二月二十三日
今日は、一日雨だった。そのせいかどうか、昨夜は、右膝と股関節が痛くて一時半頃からあまり寝ていない。今夜は楽に寝られますように。肘がほんの少し曲がるようになった気がする、肩の方も植田先生や吉本先生にリハビリして頂いているおかげで少しは上がるようになってきたように思う。悪い所ばかりに目がいくが、少しは良くなって来たことも認めてあげなきぁ先生にも悪いもんね、それに今の所内臓に異常はなく、リューマチ以外は悪い所もなさそうで元気だ、そうだ元気だ、私は元気なんだ。外見はよくても中味悪っている人、たくさんいるんだから、苦しんでいる人たくさんいるんだから、私はましな方だ・・・・と言い聞かせている私です。
- 二月二十四日
夕方、主人が来て飲み屋の恵子という人に三十万借金たのまれたけど、どうしょうかと云うから、お金の都合がつくならいいんじゃないと言ったら、お金の都合はなんとかできるし、明日十二時頃、病院に来てもらうと言っていた。それと鹿児島から来てた男の子の姉さんから借りてたお金の残高がいくらあるか、返済は銀行振り込みでいいかとかいうような、手紙を持って来てくれたので、返事を書いて出すようにとのことだった。南京都の懇談会があったけど行けなかったから、岡田さんに聞くようにとのことで電話したら、専願と併願、別々に説明会があったので併願の方はよくわからないが、説明では入学金のことらしい、だいたい三十万はいるそうだ、伏見に入れたら云う事ないがお金の準備はしておかなければ、やっぱり早く帰らないとダメだなあ。
- 二月二十五日
夕方、希代子が宇奈月まんじゅうのお土産持って来てくれた。バスには酔わなかったし、ホテルも周りの景色も良かったし、スキーは楽しく良かったと喜んでいた。
- 二月二十六日
PT室で訓練している時、田中先生が来られたので膝は痛いし左の股関節も痛くて、松葉杖なしではとても歩けないが、このような状態で退院しなければいけないのかと、お尋ねしたらそうだ歩けるようになろうと思ったら 四関節人工に変えなければダメだ、娘さんが今高二だったらもうじき嫁に行くようになった時、そのような状態では嫁にもらってくれないかも知れないし、結婚式にも出られないだろうと言われた。娘の結婚のことより家に帰ったら、おばあちゃんとバトンタッチしなきゃならないから、何とか歩けるようになりたいと言ったら、それならなおのこと二年計画ぐらいで人工関節を入れなさいと言われ、恐れていたことをはっきり言われてガックリきた。こんなことおばあちゃんによう言わん、どんなにガッカリして何を言われるか、だいたい想像がつく誰にも顔向けできない。
- 二月二十七日
昼からおばあちゃんが、松風持って来て下さった。元気そうで何より。今、主人のセーターを編んで下さってるそうだが、忙しいからなかなか編めないと言うておられた。いつ頃、退院するのか聞かれて、私の予定では二十日頃だけど松葉杖が離せそうにないし、帰ってもあまり用事が出来ないから、よろしくお願いしますと言っておいたが、四関節手術のことはよう言わなかった。幸子姉さんに、見舞の手紙と御見舞一万円入れて送ってもらうようたのんだ。
- 二月二十八日
昼から令子ちゃんが、お雛様のおかしを持って来てくれた。訓三さんと待ち合わせるとかで急いでたので、洗髪はたのめず、あとで来た寿代に洗ってもらった。寿代たちが来ると、どんな服を買ったとか服の話が大半で、まあ自分の小遣いで買ったんだから、仕方ないとは思うけど困ったもんだ。
- 二月二十九日
もう二月も最後、明日から三月、もうじき退院と思うとあせる。今日は、PTで座って肘を曲げてもらったらおでこまでついた。このやり方の方が痛くない、自分でも椅子に座りながらやった方が、そんなに痛くなく曲げられる。
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- 三月一日
今日からいよいよ三月、春の季節、春だ。春はいいことがあるような、希望に燃えるようなイメージがあるけど、今の私には、春なんかいつ来るんだろう。でも子供達には春が来る。それでいい。このところ、洋子からちっとも便りが無くて心配。何かあつたんだろうか、こちらからハガキでも出そうかと思うが、今日は来るだろう明日はくるだろうと思って待っている。今日洋子から手紙が来た。洋子もいろいろあるらしい。
- 三月三日
今日はひな祭り、家はお雛様は出してないだろうな。夕食は後、家に電話しようと思っていたら、主人が来たので、土・日外泊したいけどトイレが低いと出来ないから、何か高く出来る方法を考えて欲しい、発砲スチロールで台を作って欲しいと言ったら、それよりもっとしっかり歩けるようにならなきゃ、家に帰ったって足手まといになるだけだ、急いで家に帰らんでいいから、もっと良くなる迄病院においてもらいなさいと言われた。良くなるものなら私もいたい、でも田中先生は、それ以上良くなりたいと思ったら四関節手術しなければ駄目だと言われたし、私は帰るに帰れない。長さんに、不景気風吹かせるなよって冗談で言われて笑っているけど悲しいよ。
- 三月五日
昼から、三ヵ月半振りに我が家へ帰った。希代子は、公立高の試験で休み、寿代は試験前でクラブが休みで 二人共家にいて出迎えてくれた。久し振りの我が家だったが別に変わっていないし、そんなに留守にしたようにも思えなかった。主人が、車椅子を部屋に上げてくれたので、タイヤを拭いてもらい、食堂テーブルの周りだけ少し移動できた。トイレは松葉杖で行ったが、立ち座りは抱えてもらった、でも離れにいく為の段、二段は松葉杖で何とか登り降りできて、洗面所もできた。子供が良かったなあ、それが出来るようになってと喜んでくれたので嬉しくなったが、おばあちゃんは、家事が何も出来そうにないのでがっかりしておられた。正隆は、入試を終えて、ホッとして帰ってきた、家の者も皆、ホッとした。十六日の発表まで、十日程あるのでしんきくさい。
- 三月九日
来週の火曜日に、家庭訪問に行って下さることになった。主人のことだから、あそこもここもなおすと言うかも知れないが、今のままで何とか便利に暮らしたい、それには洗濯機も大きめの全自動にしたり、ガスレンジもボタン式にしたい。
- 三月十六日
昨日は、正隆の卒業式で、今日は公立高の発表の日で昼過ぎ、家に電話したら、おばあちゃんが「あかんかったって 正隆から電話があった、残念だけど一生懸命頑張ったんだからしかたないわ」と言われた。私もがっかりしたが、南京都が受かってて良かった。遠
いしお金もかかるが仕方ない。夜、主人が来て、正隆も一生懸命頑張ったんだから悔いない。工芸会にも来て報告したし、学校にも行って報告したし、広瀬先生が いい奴だと涙ぐんでおられたそうで、私も嬉しい。
- 三月十七日
吉本先生にお願いしていた椅子が出来て、台所で使わせてもらった。カーペットの上では滑りは悪いが、心配していた安定性とかはとてもよく、横移動も楽に出来そうだ、無理いって強引に作ってもらって申し訳なかったけど、良かった。考えてみたら、吉本先生には昨年の夏の時から 数えたら十個以上も自助具を作って頂いた。本当に感謝している、何かで御礼させて頂かないと申し訳ない。
- 三月十八日
午前中、希代子に来てもらって、ファミリーに行ってみなさんにお渡しするソックスや田中さんにお返しするタオルやら買って来た。行きはタクシーで行ったが、車椅子積んだりおろしたりするのに手間取って時間がかかったので帰りは、歩いて押してもらった。昼からプールだったので、佐野さんの娘さんにいつもお世話になるからストッキングをお渡しした。稲垣さんの娘さんにはハンカチを渡した、稲垣さんからはタオルを頂、看護婦詰所に差し上げる御花一緒にさせて頂くよう夜、お宅に電話した。入院して四ヶ月、家族・田中先生・吉本先生・植田先生・看護婦さん・同室の方々、いろいろな人にお世話になった。明日はいよいよ退院、皆さん本当に有難うございました。ちっともつらいことなんて感じず、楽しい思い出ばかりです。
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