旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
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  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める
  • 平成六年一月一日(土)
     主人の胃痛はまだ治まらないが、無事お正月を迎えることが出来た。昨年後半は、正隆が事故やケガでヒヤッとしたが、大したこともなく済み良かった。今年もどうか皆元気で過ごせますよう、何よりもそれが一番の願い。

    水仙の 香りほのかに 漂いて  元旦の居間 凛と澄むなり

    火鉢にて 餅焼き頭 寄せ合いて  見つつは昔 今はチンする

  • 一月二日(日)
     おばあさんからの、お年玉として三人の子供達に二万づつ、幸子姉さんから頂いたので昨日それを渡すと喜んでいた。希代子は一万円、正隆は二万円、寿代にアメリカ行きの餞別として渡していた。寿代は十時半頃、正隆にアバンティまで送ってもらい、九日迄のアメリカ旅行にいった。楽しんで無事に帰りますように・

  • 一月四日(火)
     今日から主人は仕事に行った。長覚寺様に改築の寄進十万と御布施持参してお参りに行き、夜は小堀さんの新年会。今日から、ヘルパーさんに来て頂いてお掃除して頂き、きれいになってやれやれだけどゴミ袋が四つ程たまり六日のゴミに日が待たれる。

  • 一月五日(水)
     昨日主人は、小堀さんの新年会から早く帰って来たが、又コップ一杯お酒を飲んで寝たからか、今朝は又胃痛がすると言いながら仕事に行った。ちょっと治まるとすぐ飲むからよ、のど元過ぎればなんとかでこりない人だ。希代子も今日から仕事で、早く起きてお弁当作って出かけた。今年からデザイン課に配属されたので少し忙しくなるらしい。

  • 一月六日(気)
     夜、ニュースでマイアミで小型飛行機が落ちて、結婚したばかりの夫婦とその家族合わせて九人が亡くなったと報じていた。寿代達もどうぞ何事もなく無事に帰って来てます様に、九日に帰って来るのが待ち遠いしい。希代子も一人で頑張ってくれている。

  • 一月九日(日)
     夜八時半、寿代帰宅。元気に帰って来て一安心。良い天気続きで楽しかったらしい。寿代らしいお土産を色々並べて土産は話を聞かせてもらった。 ディズニーランドやグランドキャニオンがとても良かったらしい。

  • 一月十日(月)
     今日から寿代は学校が始まった。希代子は新しい職場は今の処楽しいらしい。

  • 一月十一日(火)
     ヘルパーさんが今日は会議があって午前中来られないと云う事で、」幸子姉さんに来て頂いた。

  • 一月十二日(水)
     先月暮れに生理があったばかりなのに又、生理になって三日目になら。良は少ないがなぜなのか気になる。

  • 一月十三日(木)
     伊藤さんは今日限りで新しいヘルパーさんの睦月さんという方と引き継ぎされた。まだ三十代半ばぐらいのきれいな方だ。伊藤さんもとてもいい方だったので名残り惜しい。
     
  • 一月十四日(金)
     今日は診察日で、病院に行ったらめずらしく混んでいたので、ゆっくりリハビリして頂いた。股関節が痛いと言ったらレントゲンかけて診て頂いたが異常はないので無理して動かし過ぎないようにとの事、肩の針金の当たる所も診て頂いたがつき抜ける事はないと思うから抜かなくて良いとの事で安心したが、突き抜けそうに痛くなるので思うように手が動かせず不便だ。中塚さんにお会いしたら、浜野さんが肺炎で市立病院へ入院してる事、稲さんが人口関節に黴菌がつき六号室に入院してること等教えて頂き、びっくりして帰りに六号室に連れて行ってもらったら本当に稲さんが寝ておられた。暮れから左膝の具合が悪くなり四月に入院されたらしい。点滴で膝の黴菌を洗い流しているそうでもう痛みはないとの事、色々と突発的な事が起きて人事でなく大変だ。御見舞に行けて良かった。

  • 一月十五日(土)
    寿代の成人式で朝六時半からイマージュさんへ行きカットと着付けをしてもらい、帰ってから記念写真を撮りに行き一時頃、希代子に車で送ってもらい西京極の市立体育館にいった。夕方六時頃迎えに来てほしいと電話があり又、希代子が迎えに行った。

    晴れ着着て いそいそと行く 子の姿  娘持つ身の 特権なり

    着飾りし 姿眺める 楽しみは  娘持つ身の 特権なり

    華があり 潤いあるは 年頃の  娘持つ身の 特権なり

  • 一月十六日(日)
    希代子は朝から夕方迄、書道の錬成会に出かけ、主人は仕事に行った。昨晩の一時頃、おばあさんが又ベッドから降りて歩こうとして転び、正隆がたまたま降りて来て気付き、希代子と寿代を呼んで三人でかかえるようにしてトイレに連れて行き寝させてくれたが腰を打ったのか腰が痛いと言って、今日は立つてあるくことが出来ず、一日ベッドで寝ていた。明日病院へ電話して診て頂こう。

  • 一月十七日(月)
    今朝病院へ電話したら、やはりレントゲンとった方がいいと云うことで病院から車で迎えに来てもらい、昼前送ってきて下さった。骨に異常はないので心配ないとの事、トイレにも何とか行けたが、やはり痛がるのでベッドで寝てもらったが、良く休んでいた。しばらく夜中に歩き回る心配はないと思うが、今迄の経験から回復力が早いので油断は出来ない。今日は久しぶりに一日雨だった。

  • 一月十八日(火)
    昨夜、日本時間で九時半頃、ロサンゼルスでマグニチュード六・六の大地震があり、建物や道路等壊れたり、火災が起きたりで大きな被害が出たらしい。これが寿代達の旅行中だったらと思うと、ぞっとするいい時に旅行出来て本当によかったと思う。日本人の犠牲者は今の処ないようで不幸中の幸い。

  • 一月十九日(水)
     今日は梅戸さんから安原さんと云う方に引き継ぎがあり、願い事お世話になった梅戸さんとお別れ。安原さんは明るそうな方だ。お医者さんがおばあさんを診て下さったが、骨に異常はないが安静にしとくようにとの事、お通じが三日程出ていないと言ったら浣腸して出して下さった。

  • 一月二十日(木)
    今日は大寒で昨日、今日とよく冷える、寒いと灯油がすぐなくなるので困る。夕方、寿代が帰って来て、私の肩から針が出ていると云うので、見てもらったらとうとう針金が突き出ているとのことで、びっくりしてリハビリセンターに電話して、一坂先生にお尋ねしたら明日来るようにとのことで、今度は福祉協会へ電話して明日ヘルパーさんに来て頂くようお願いした。そんなことをしいている時、正隆が帰って来たので早かったのねと見ると、右てに包帯しているのでびっくりして聞くと、機械で人差し指と中指の爪から先を切り落としたと聞き、寿代はワァーワァー泣き出した。昨年の十月からケガばかりしてなんで続々と正隆に、災難がふりかかるのか可哀想になる。

  • 一月二十一日(金)
    寿代にリハビリセンターに連れて行ってもらい診て頂いたら、いつの間にか針金は中へ入り込んでしまい、今度は手を動かしても全然出て来ず、仕方なくふさいで二針縫って頂いた。来週又、抜糸に来なくてはならないがそれまでに又、突き出て来たら家の人に抜いてもらうように言われた

  • 一月二十二日(土)
    昨日縫ってもらった肩がチクチク痛む、傷の痛みか又、針金が当たっているのか気味悪い。

  • 一月二十三日(日)
    ここの処、毎日寒い日が続いて雪が積もって来た。

  • 一月二十四日(月)
    朝雪が積もっていたので皆出勤が大変だったと思う。おばあさんは腰の痛みも大分良くなり、以前のように歩けるようになった。やっぱり回復力がある。

    ストーブの 前に長靴 置きいるは 雪降る朝の 亡母の習わし

    雪降れば 立ち往生の 都会人  雪国人の 強さに脱帽

  • 一月二十五日(火)
     おばあさん腰直つて元気になったと思ったら、朝食欲がなく十一時頃、吐いてびっくりしたが、熱もないし風邪ではなさそうで、夜には御飯をしっかり召し上がっていた。

  • 一月二十六日(水)
     夕方令子ちゃんより電話あり、牧野さんが朝胸が痛いと言って京大病院に入院して手術中とのこと、心臓の手術なので心配、何とか助かります様お守り下さい。

  • 一月二十七日(木)
     夜中、おばあさん二回起き、主人に寝かせてもらったが二回目の時は、寿代が試験勉強中で起きていたのでトイレ連れて行って寝かせてくれたが、朝早く又起きてオムツをはずしてベッドの下に転がっていた。腰の痛みがましになったら又動きだして、折角腰が治ったのに又転ぶのではないかと気が気でない。三時頃、保健婦さんとケースワーカーの方が来られたのでその事を言ったら、昼間よく起こしておいて夜ぐっすり眠れるようにするしかないと言われた。そして老人ホームに入れた方がいいのでは、今老人ホームは良くなっているからと言われ、何とか家で看たいと言う私の気持ちは自己満足なのだろうか、自分は出来ないくせに、きれい事を言ってるのだろうかとショックだった。夕方令子ちゃんより電話あり、今朝の五時まで手術にかかったらしく意識が戻るのは時間がかかるらしい。命はなんとか助かったようで少し安心した。
     
  • 一月二十八日(金)
     リハビリセンターへ抜糸してもらいに行ったが、やはり針金が突き出ようとしているので抜いて下さった。この前よりたくさん切ったらしく五,六針縫われたそうだ。先日わき腹が痛かったのでレントゲン撮って内科で診て頂いたら胸膜炎の兆候はないが貧血がきついと言われた。家へ帰ってしばらくすると骨折した部分が痛く、腕を動かす度、骨がずれるような感じがして折角、針金を抜いてもらっても、却って腕が動かしにくくなった。

  • 一月二十九日(土)
     網田の兄が牧野さんの御見舞に来て、令子ちゃん家族と夕食をとって、家に来てくれた。主人も帰っていて一緒にビールを飲んで色々話をしてホテルに行き、明日又、牧野さんを見舞って帰るそうだ。すぐ飛んで来てくれて令子ちゃんも、心強かったと思う。

  • 一月三十日(日)
     夜中からの雪がうっすら、積もって寒い一日だった。最近よく雪が降ったりして寒い日が続く、主人昼前から仕事行き。

  • 一月三十一日(月)
     夕方、ヘルパーの伊藤さんが寄って下さった。相変わらずニコニコして明るい方だ。寿代が友達と食事をした後、気分悪くなって吐いたと言って青い顔して帰って来たが、三時間程寝たら治ったらしくヤレヤレ。

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  • 二月一日(火)
     今日は映画の日で、千円になるらしく正隆と寿代は別々に同じ映画を見て来た。正隆は、仕事出来るようになる迄は、まだまだかかりそうだ。

  • 二月二日(水)
     お医者さんが、診て下さってどこも悪い所なしと言われて帰られてしばらくして又、おばあさん吐いてびっくり、お薬飲ました後だったので又、そのせいだったのかも知れないが、先週に続いてなので気になるが吐いた後は元気にしている

  • 二月三日(木)
     節分の日も、雪がちらつき寒かった。巻き寿司と鰯と豆を食べた。鬼が出て行って福がきます様に、みなが健康で過ごせることが何よりの福だ。

  • 二月四日(金)
     リハビリセンター行き、抜糸してもらいこのまま骨がずれていても、化膿したり皮膚を拭き破る心配はないと聞き、急いで手術するようなことはないと聞き安心した。、貧血がきつすぎるからとのことで造血剤を頂いた。でもなぜこんなに貧血がきついのか今度、便を調べるそうだ・久し振りに高橋さんにお会いした。

  • 二月五日(土)
     朝、お医者さんが来て下さり診て下さったら、血圧百四十〜八十ぐらいで心配ないとのこと、お腹の痛みも大したことはないから大丈夫とのこと、おばあさん食欲もあり、元気だったし先生のおっしゃった通りで安心した。

  • 二月六日(日)
     昨晩主人が帰って来てから令子ちゃんの事を相談したら、月曜日に満期になる定期預金があるからそれから、渡して上げなさいと言ってくれたので、今日、令子ちゃんに電話したら、とても喜んでいた。私も主人がそう言ってくれて嬉しかった。子供達はそのお金でワゴン風の車に買い替えたいらしかったが事情を話して納得してもらった。うちの子供達は、私やおばあさんの世話でよその子供さんより苦労はしているが、経済的には何の心配もせず、来れたのはお父さんに感謝しなければと思う。主人、広島の法瀧寺様行き。

  • 二月七日(月)
    おばあさん長いこと、お風呂に入ってないし今週の金曜日は祝日の為、ディサービスお休みなので、寿代にシャワーで頭や身体を洗ってもらった。案の定、怖いの暑いのと文句言い乍、いやいや洗ってもらっていたがさっぱりした。昨日、今日と春のように暖かかった。

  • 二月八日(火)
     昨晩主人が満期のお金持って帰って令子ちゃんにと頂いたので、今朝希代子にことづけて令子ちゃんに会社迄取りに行ってもらうように電話した。夜、希代子が帰って来て令子おばさん痩せ張ったみたいと言っていた。

  • 二月九日(水)
     最近ずっとおばあさん腰が痛いと言ってたので先生が診て下さった。最近あまりしゃべらず少し元気がない。食欲はまあまあで先生は何も心配ないとおっしゃっていたが。夜、みぞれが降って来た。

  • 二月十日(木)
     夕方稔さんが来られた。佃煮や相撲のお皿等、御土産に頂いた。晩御飯は焼き肉してその後、希代子を連れてスナックへ行って、十一時頃帰って来られた。

  • 二月十一日(金)
     稔さん久し振りに我が家で泊って、朝風呂入られて一時頃寿代が学校へ行くついでに、車に乗って東本願寺に寄って帰られた。

  • 二月十二日(土)
     昨日より降り続いた雪が、朝十センチ以上も積もってみんな出かける時大変だった。帰って来る時も雪が降っていて寒かった。

  • 二月十三日(日)
     吉津様宅で、御両親の法事があり主人が、お参りさせて頂いた。希代子は、朝五時半頃家を出て、スキーに行き夜九時過ぎに帰って来た。案の定往復に時間がかかり、滑っていたのは二時間程だったらしい。帰って来てから会社のデザインの仕事遅く迄やって、寝不足で会社で居眠りするんじゃないかしら。

  • 二月十四日(火)
     昨夜吉津様宅を十時頃、おいとまして帰ったと幸子姉さんより電話頂いたので、十一時半か遅くとも十二時迄に帰ると思っていたが、十二時四十五分ぐらいに帰って来た。本人は覚えてないらしいが、きっと寝過ごして通り過ぎて戻ったりして遅くなったんだと思う。今朝は起きられなくて、十一時頃出かけた。飲んだら抑制がきかないんだから、幸子姉さんに御礼の電話したら、徹兄さんも大分酔ってらしたそうで、朝もいつもより一時間遅れて会社へ行かれたそうだ。徹兄さんは、酔っていてもちゃんと後片付け手伝われたとか、うちの主人とあまりにも違ってびっくり、主人なんかそんなこと一生のうちきっと一度もすることないだろう。

  • 二月十五日(火)
     長覚寺様は、お葬式があるとかで夕方、四時頃来て下さった。

  • 二月十六日(水)
     お医者様が又、おばあさんは腰に神経ブロックの注射して下さった。最近腰痛のせいかあまり食欲がない。血圧は落ち着いている。安原さんの代わりに梅中さんが来て下さった。

  • 二月十七日(木)
     おばあさん腰痛の為、元気がないので昼から寝てもらったが、寝てしばらくしたらおさまったのか元気が出て、夕食もまあきれいに召し上がった。

  • 二月十八日(金)
     今朝はおばあさん、ベッドの下に転がっていたので寿代に、寝かせてもらったのに、じきに又、起き上がって立とうとしてズルズルとベッドから落ちた。腰の痛いの忘れているみたい。こちらの言う事逆らって訳のわからないことばかり言い、ディサービスでも興奮気味で車椅子から立とうとしたり、入浴を拒否したりしていたらしい。

  • 二月十九日(土)
     夜、主人がケーキを御土産に買って来てくれた。めずらしいなあと子供達と言い乍ら皆でおいしい、おいしいと頂いた、

  • 二月二十日(日)
     主人は仕事、希代子は奈良の書道展、寿代はバイトに出かけた。夕方から雨降りで、気温は高め。

  • 二月二十一日(月)
     令子ちゃんより電話あり、牧野さん、令子ちゃんのこともわかり、車椅子やポータブルトイレに一人で乗り移れるようになり、脳の方に障害は残ってないから時間はかかるが、甲斐福の見込みはあるらしい。令子ちゃんはそれを信じて頑張っているらしいから私達が余計な心配をして希望を失うようなことを言ってはいけないと思う。車のガレージ代もったいないから工場で預かると言ったらが、いったんガレージ手旗したら今度確保するのが大変だからこのままにしておくとの事。

  • 二月二十二日(火)
     希代子は最近、外回りが多くなり残業もあったり、習字の練習や英会話等で毎晩寝るのが二時頃なのでとうとう風邪ひいて晩御飯が済むとすぐ寝てしまった。

  • 二月二十三日(水)
     幸子姉さんが、この前の法事の時の写真を持って来て下さった。おばあさんに又、暖かそうなカーディガンを買って来て下さった。パジャマとかカーディガンとかまめに買って来て下さり助かる。

  • 二月二十四日(木)
     高橋さんから電話頂き、稲さんが胆石の手術の為、市立病院へ行かれるそうだ。この前行った時、診察の為、市立病院へ行っておられて会えなかったから、今度行ったらよろしくとのこと。

  • 二月二十五日(金)
     リハビリセンターで診察してもらい腕をどうするか色々先生も考えて下さったが、まずい時等考えると、貧血治して体調整えなければ、色々な問題がおきるとの事でやはり、手術は当分しない事にした。汐見さんが入院しておられて、股間節の手術して二週間たったそうで、少し楽になったみたい。稲さんは又、市立病院に行っておられて留守だったが近々市立病院で胆石と子宮筋腫の手術をされるそうだ。川村電気店の奥さんから、幸せの鐘とか云う陶器のお人形さんを頂いた。

  • 二月二十六日(土)
     夕方、光山さんが来られて、自動車の自賠責保険をお支払いした。

  • 二月二十七日(日)
    午前中、ピアノの調律に希代子の先輩が来て下さった。エアコンの風が当たったり、気温の差が激しいと狂うらしく、大分狂っていたらしい。主人、めずらしく一日ゆっくりしていた。

  • 二月二十八日(月)
     おばあさんオムツはずしてしまい、オシッコでズブぬれになっていた。最近、尿の匂いがきつくなったのか、お布団やマットに匂いがしみついたのか、部屋が臭く洗濯物も二度洗いしても匂いが取れない。夜、寿代は信州へスキーに出かけた。五日の朝帰るそうだ。寿代がいないと、何かと不便で淋しい。

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  • 三月一日(火)
     正隆、今日から指の包帯はずして、おふろに入れるようになり見せてもらったが、指先がソーセージの先を斜めに切ったような感じで、黒ずんでいてどんなに痛かったことかと、可哀想になったがここ迄、回復出来てやれやれ。

  • 三月二日(水)
     主人が又工場で泊まったので、朝布団をめくってもらえないので起き上がれず、希代子を下から呼んでも、聞こえないのか寝坊してしまい三十分程遅刻した。おまけに朝、おばあさんが起き上がったので、食堂迄連れて来ようとしたら便が床にボットリ落ちて、ズボンもパツチも便だらけで、オムツだけしてヘルパーさんが来られる迄、どうしょうもなく便を踏まないように気をつけるだけで、ヘルパーさんが待たれた。来て下さってきれいに始末して頂いて本当に有難かった。夕方希代子が、しんどそうな顔して帰って来て熱測ったら八度四分程あり、薬飲んですぐ寝るよう言ったが、夜中におばあさんのオムツ替えしてもらって気の毒だった。寿代がいないとホント困る。

  • 三月三日(木)
    雛祭りで、笹屋さんがお菓子売りに来られたので、三色団子と桜餅とよもぎ餅買った。希代子は会社から帰って来て、熱測ったら八度あったがインスタントの具を使ってちらし寿司作ってもらったが食べてすぐ寝た。

  • 三月四日(金)
     希代子は今日は休んで病院へ行くと言っていたが熱が下がったから会社へ行くと言って出掛けた。風邪をこじらせなきゃいいけど。

  • 三月五日(土)
     朝五時に寿代帰宅。主人は七時半頃、下呂温泉行き。一一時ハ頃、正勝兄様こられる。明日、三好様のお母様の一周期で準備の為、園子姉さんはげつようびに来られるそうだ。

  • 三月六日(日)
     寿代はバイト、希代子は一日家にいてくれて、買い物行ってくれたので助かった。西友でもお米全然なかったそうだ。外米も売ってなかったら困る。夜八時前、主人帰宅。行きのバスの中で飲み過ぎて、ホテルのトイレで居眠りしてしまい、自分が司会しなければいけない会に三十分も遅刻したとか、パンツは便で汚すし本当に飲み過ぎをコントロール出来なくて情けない。言っても聞かないし、最近はあきらめているが、大きなツケが来ないか心配。

  • 三月七日(月)
     昼過ぎ園子姉さん来られて、一時間程いて東京に帰られた。主人の御土産の飛騨牛と漬物持って帰って頂いた。三好様よりお供養に塗りの菓子盆を頂いた。

  • 三月八日(火)
     一日雨降りで割と暖かかった。石津さんはまだ風邪が治らずお休みで、安原サが来て下さった。

  • 三月九日(水)
     幸子姉さんが、焼きたてのおいしいアップルパイやパンを持ってきて下さった。いつも「私 誰?」と幸子姉さんはおばあさんに尋ねると、娘の幸子ちゃんといつも答えるので、安心しておられたが、最近、私のことはよその奥さんと間違えることが多い。支離滅裂なことを言ってる時の方が多いが、よそから来た人やたまに会った人とは、割りとまともに会話しているので、たまに会った人はそんなにボケてるとは思われないだろう。一週間程、一緒に暮らしたら、びっくりされるだろうな。

  • 三月十日(木)
     寿代に主人の、春用のブルゾンジャケットを、大丸行ってついでに買って来てくれるようたのんだら、バーバリーの四万六千円もするジャケット買って来てびっくり、私は一万円程の物をと思っていたが、デパートでそんな安物はないとの事、お父さんは滅多に服を買うことないんだし、色々なお付き合いもあるんだから、安物着せたら可哀想だと、希代子と寿代に怒られた。お父さんのことを大事に思ってくれる気持ちは嬉しかったが、それにしても高いものなんだな。主人も、最初三千円かなんて桁はずれもいいとこ、値段聞いてビックリ。

  • 三月十一日(金)
     正隆の指少し短くなったが、仕事出来る迄に回復して来たので主人は、ウルトラマンが帰って来て助かったと喜んでいる。お箸はまだ右手で持ちにくいし、バイクに乗ることも無理みたい。指先が少しなくなっただけでも、随分不自由になるものだ。

  • 三月十二日(土)
     朝から雨降り。希代子は午後髪をカットしに行き、そのるすに君子叔母さんが来られた。一月に腸の手術をして二ヶ月程入院しておられたそうだ。今は元気そうで以前より少しふっくらされたように見えた。

  • 三月十三日(日)
     朝十時前に、希代子はお米買う為、西友に行ったが十七日迄入荷なし。生協は入荷未定ということで輸入米も一つもなかったとの事、月曜日の分はあるが火曜日以後の、食べる分がないので、黒井の叔母さんにお願いした。

  • 三月十四日(月)
     隆康さんから、お米十五キロ送ったからと電話頂いた。主人も電話して木彫りの大石さんから十キロ送って下さるようお願いした。

  • 三月十五日(火)
     今朝、大石さんと隆康さんから、お米が届いた。隆康さんからはお米の他に、ほうれん草や苺等も入っていた。岩田さんに大石さんに、お米代と送料聞いて頂いたら、お米は五千円、送料千三十円だそうだ。隆康さんには、一万円と何か三千円程の品を、送らせて頂こう。

  • 三月十六日(水)
     希代子の二十三才の誕生日、何にも御祝して上げられない、ゴメンネ。昨日は寿代の卒業式で、夜、お友達と食事に行った。

  • 三月十七日(木)
     三寒四温の此の頃、お天気は良いが何となく寒い。でももうすぐしたら桜の季節、春になっても何も変わることは、ないけどそれでも嬉しい。短歌と絵、教材は昨年暮れに届いてるのにまだ、一枚も出していない出さなきゃと気はあせるが、なかなか実行に移せない。 

  • 三月十八日(金)
     今日は、寿代の大学の謝恩会が、宝ヶ池のプリンスホテルであるので、昼から振袖着せてもらって、三時頃出かけた。良いお天気で暖かくて良かった。振袖姿の娘を見るのは、嬉しく上から下まで、しみじみ眺めてしまう。

  • 三月十九日(土)
     朝、おばあさん畳の上に便を、どっさり落として、寿代と希代子が後始末してくれたが、怒ったりせず、もう少し早く起きてトイレに連れてって上げたら、良かったのにごめんねと言ってくれて嬉かった。やっぱり根は優しい娘達だ。却って私の方が、おばあさん口から食べカスをプップッとそこら中に、飛ばしたりすると汚いなあと腹が立ったりする。私もいずれそうなると頭では、わかっていながらイライラする自分が嫌いになる時がある。

  • 三月二十日(日)
     夜、体振の会合が、七時からか七時半からか忘れたので、吉本さんに電話してくれと主人に言われたので、電話して時間を聞いて受話器を置いたら、「場所も何で,聞かなかったか」とすごい剣幕で怒り出した。場所は先日吉本さんに電話した後、喫茶店であると言っていたので知っていると思い、きかなかったのでも一度電話して聞こうとしたら「聞いたら承知せんぞ」と怒るので聞くに聞けずどうするのか、見ていたら晩御飯も食べずに「行かへん電話かかって来たらいきません言うとけ」と言って出て行った。多分見当はついているはずだから探して行くだろうと思っていたが、もし電話がかかって来たらどうしょうか心配だった。夜中、一時頃帰って来て「すみませんとあやまりもせんと」とブツブツ言っていたが知らん顔していた。いつも自分が正しいと相手を悪いときめつける、なにも大きな声出して、怒鳴る程の問題でもないのに一人怒鳴って御飯も食べずに、すねてるなんて大人げない。子供達も「しょうもないことで怒って、収拾がつかなくなってすねてるみたい、本当に子供と一緒や」とあきれていた。

  • 三月二十一日(月)
     主人はまだすねて口もきかない。一晩寝たら忘れるかと思ったけど私も、口をきく気になれなかった。希代子はお墓参りに行ってくれた。初枝さんと栄さんがお参りして下さったらしい。

  • 三月二十二日(火)
     日中は暖かいが、朝晩寒くてストーブの灯油、買っといてもらって良かった。今日は、主人御機嫌治っていた。

  • 三月二十三日(水)
     幸子姉さん来られて、お米四キロだけ持って帰られた。福枝叔母様より電話頂き五千円返すと言われたので、一万円で少ないぐらいだから収めといて下さいとお願いした。ブレンド米は、もう沢山売り出されてるらしいので、間にそれを使ったりして頂いた。お米を大事に使えば、長持ちすると思う。

  • 三月二十四日(木)
     寿代は、今日から大丸のプレイランドでバイトすることになり、子供相手の仕事で楽しかったそうだ。ヨークよりこちらの方が、自分に向いていると言っていた。あまりバイトに行って欲しくないが、これも社会勉強だし仕方ない。

  • 三月二十五日(金)
     リハビリセンター行って、塩見さん御見舞してプリンとバームクーヘンお渡しした。食事制限はないらしく喜んで下さった。稲さんは、胆石と子宮筋腫の手術を、市立病院でしてもらい、昨日リハビリセンターに帰って来られたそうで、会えて良かった。大分やせたみたいで、細い体になっておられた。まだ膝の具合が良くないらしいが、そう長くは入院してないだろうとの事、早く元気になって、以前のような元気な稲さんになって欲しい。

  • 三月二十七日(日)曇り
     主人は朝、児童公園の清掃に行き、昼過ぎ帰って来てちょっと一服してから、仕事にいった。

  • 三月二十八日(月)曇り
     昨夜、急に主人が右手首の筋が痛いと言っていたので、ひょっとして腱傷炎かなと思っていたが、今朝、病院で診てもらったらやはり腱傷炎とのこと、使い痛みらしい。刃物を使うのでケガをしなければよいが。

  • 三月三十日(水)晴れ
     昨日、岩井彩さんより、能面を法瀧寺様に紹介した御礼として五万円頂いたので、今日御礼の電話させて頂いた。

  • 三月三十一日(木)晴れ
     寿代は、アルバイトで大丸のプレイランドに行ってるが、春休み毎日映画だ食事だ、コンパだとよく出かける。春休みの間だけと言ってるが、たまには家にいてくれたらいろいろして欲しいことがあるのに。青春の真只中だから仕方ない。
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  平成十八年 1月〜9月
  容子の死の前後を振り返って