旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
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  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める
  • 平成六年四月一日(金)  晴れのち雨
    今日から四月、ぼつぼつ桜の便りも聞かれるようになり、暖かくなって来て嬉しい。

  • 四月二日(土)
     昨夜、ストーブの灯油を買いに行くと主人が言い、私や希代子が暖かくなって来たから、もう灯油はいらない買って来ても残ってしまうと言ったら主人は、怒り出し希代子も反発して二人共意地になって主人は「わしが灯油買って来る」と言い出し、希代子は「私が買って来ます」と言い、私が口出しすると却って火に油注ぐようなものだから、黙っていたがどう考えたって主人の方がおかしい。いつもしょうもないことで怒り、子供達から嫌われている。私も主人の性格にはついていけない所がある。主人の御蔭で何の不自由もなく今迄過ごせて来たことは心から感謝しているが、ああいう性格はなおらないし、本当に腹の立つことがある良い所もあるんだけど。結局、正隆にストーブ取りに来させ希代子は灯油買って来ると言ってでたが、やっぱりアホらしくてやめたそうだ。それで暗黙のうちに和解みたいになことでまあ、そこが親子と言うものだろう。

  • 四月三日(日)晴れ
    良いお天気だったが、風が冷たかった。案の定、又主人は灯油の話しをぶり返してきて、今度は、電気代の事を言ってるのではない、灯油もらいに行くのをじゃまくさがることが悪いなんて、先日は電気代がもったいないって言ってたくせに、何を言ってるの、自分の方がよっぽどじゃまくさがりやで、自分のことさえちゃんと出来ないくせに、そんなこと言おうものなら又、烈火の如く怒り出すことがわかっているから黙っていた。

  • 四月四日(月)晴れ
    主人の五十一才のバースデー、何も御祝して上げられず、ごねんなさい。政子叔母様より電話頂き、おばあさんに替ると、結構まともに話していたので、ヘルパーさんが電話の時は割とちゃんと話しておられると、言っておられた。今朝はオムツに便をして、手で触っていたので後始末が大変だった。たまに会った人や電話で話した人には、こんな事してるなんて、きっと思われないだろう。私は何もして上げられないのから、不服を言う資格はないが。

  • 四月五日(火)晴れ
    春爛漫と云うような、温かくてとても良いお天気だった。昨日迄まだ固かった桜のつぼみも一度に開きそう。今度の日曜日の、知事選挙に連れて行ってもらったついでに、上桂駅の桜見に連れて行ってもらおうと思っているけど、それまで持つかしら。雨が降りませんように。寿代専攻科の入学式。

  • 四月六日(水)曇り時々晴れ
    幸子姉さん来られて、おばあさんをカットに連れて行って下さった。重くなったとおっしゃっていたが、最近、朝もしっかりとよく食べてはるから、少し肥えたのかも知れない

  • 四月八日(金)曇り
    今日は寒かった。花冷えで、花見の人も寒かったろう。そのせいかどうか、今朝から三時頃迄、身体がしんどくてトイレで立ったり下着の上げ下ろしが痛くてすごくしにくく、一人の気楽さから泣いていた。

  • 四月九日(土)曇り
    今日も寒くて、暖房をつけたりした。細川首相が、昨日辞意表明。

  • 四月十日(日)晴れ
    昨晩、足が冷たくてお布団も隙間が開いていて、寒くて一晩寝られず、朝起きられず起こしてもらい、トイレでも立てず、動くのがしんどいので、知事選挙を棄権しようとおもったけど、主人が行ったらスロープがしてあったからいかなきゃ申し訳ないからと連れて行ってもらい、帰りに松尾迄連れて行ってもらい、花見をした。

  • 四月十一日(日)
     今朝もまだ少し寒くてしんどかった。昼から少し暖かくなり楽になった。

  • 四月十二日(月)
     今日は身体は少しましだったが、おばあさんはこの前の金曜ぐらいから腰が痛いと言って元気がなかった。

  • 四月十三日(水)晴れ
    今朝、チーフヘルパーさんの笹江さんと、新しいチーフヘルパーの長岡さんと云う方が来られて、いろいろ家の掃除やおばあさんの清拭等をして下さった。笹江さんから、洗濯物は相変わらず多いですかと聞かれ、洗濯物は私とおばあさん以外の物はして下さいと云うことだなと思った。

  • 四月十五日(金)はれ
    十時十分前に、長覚寺様が来られてお花とおけそくまだお供へしてなくてあわてた。三時頃、ヘルパーのコーディネーターの中上さんが来られた。相変わらずオドオドとしゃべる人だが、内容は随分厳しく、やはり洗濯物と食器は、家族の分はしませんから分けておいて下さいこの事、今迄、娘達の負担を少しでも軽くする為、ついヘルパーさんに甘えていたのだから、そう言われても仕方ない。しかし少しでも娘達の負担を、軽くしたいので朝九時に来て頂いて、おばあさんのオムツ換えや食事の用意をして頂くこととし、私の入浴をお願いした。朝九時はいいが入浴は相談しておくとの事、子供達はそれを言ったら、入浴させてもらえるのだったら助かる。家族の分の洗濯物等は、頑張ってすると言ってくれた。

  • 四月十六日(土)
     昼から希代子は出かけ、三時頃ひょこと君子叔母さんが来られた。しんどいしんどいと仰っていたが知人の方の御見舞行ったり、家に来て下さったり、これから夕子さんの家に行くとか相変わらず外出はまめな方だ、生八つ橋と佃煮を頂いた。

  • 四月十七日(日)晴れ
     主人は朝十時半から、町内の慰労会が嵯峨野の「湯とうふ屋」であり、帰りにトロッコ列車に乗って四時頃帰って来た。今日は良いお天気でとても暖かく気持ち良かったらしい。

  • 四月十八日(月)曇
     先日コーディネーターの井上さんに、九時からお願いしますと言っておいたが、ヘルパーさんの方にはまだ連絡が行っていなかったらしく、十時に来て下さった。洗濯物も干して茶碗も洗ってあったのでびっくりしておられた。少しぐらいいいのにと言って下さったが、そこで甘えてしまっては又、同じ事になるし他のヘルパーさんとの兼ね合いもあるので甘えてはいけない。

  • 四月十九日(火)曇り
    石津さんにも、これから家族の分は置いといて下さいといったら「前のヘルパーさんは、ああだった、こうだった」と云うような事をいわれる方には、規則通りのことしかしないが、そうでない方には、私の気持でさせてもらっておるから、今迄通りで結構です。その代わり、ほかの方には言わないで下さいと仰ったので、なるべく甘えないようにはするが、時間がなかった時は、少しだけお願いしようかな。

  • 四月二十日(水)曇り
     今日、先生がおばあさんの腰を診て頂いたら、大分良くなっているから、ぼつぼつ起きていた方が良いとの事で、歩いてトイレに連れて行って頂いたら、少し痛いと言っていたが、大分良くなったようで、椅子に座っていても痛みはましなようだ。澤井の叔母様より大きな生椎茸を送ってきて下さったので、岩田さんにおすそ分けした。

  • 四月二十一日(木)
     生理になった。予定では二十三日ぐらいなのにやっぱり早めで量も相変わらず多い。

  • 四月二十二日(金)晴れのち曇り
     今日は初夏のようで、汗ばむ程だった。リハビリセンターに行く日だったので、ディサービスお休みしたおばあさんを、見ていて頂く為、ヘルパーの睦月さんに来て頂いて、私は村松さんに連れて行って頂いた。かがとの床ずれ診て頂き、家でしていることと同じ、消毒とデンダシンをつけて頂いた。貧血は大分良くなったらしい。内科で長いこと待たされたので、家へ帰って来たのは二時前だった。身体はそれ程でもないが、骨折している腕が痛くて、力が入らず引出が開けられない。夜中も痛くて、腕の置き場所がない。

  • 四月二十三日(土)
     寿代が、アルバイト休みだったので、衣類の整理をしてもらい、いらなくなった物は、ぼろ布にしたり、あげられる物を袋に入れてもらった。石津さんが、衣類等あまり買えない、貧しいお年寄りもおられるので、着られる古着を差し上げているそうなので、役に立てて頂いたらと思う。

  • 四月二十四日(日)
     主人は朝から、伝産の総会等に出かけ、正隆は散髪に行って、スポーツ刈りにして帰って来た。まるでヤンきーみたいで、頭の小ささが強調されて変だった。

  • 四月二十五日(月)
    今日は、チーフヘルパーの長岡さんが来て下さり、私とおばあさんお風呂に入れて下さってさっぱりした。私も久し振りに湯舟につかり気持ちよかったし、おばあさんもディサービス二回休んだので、頭が気になっていたのをおきれいに洗ってもらって助かった。

  • 四月二十六日(火)
    夜、ニュースで中華航空が着陸に失敗して、名古屋空港で炎上、死者二百人以上という大惨事を伝えていた。明朝、希代子は中国に旅行するので、人事でなく心配になって来た。たて続けに事故が起きることはないと、思い乍らも不安がよぎる。どうぞ無事で帰ります様、念じるしかない。

  • 四月二十七日(水)
    希代子は、朝六時前に出発した。十二時過ぎには北京に着くので、やはり近い国だ。おばあさんは腰の痛みがましになると、又明け方歩き回って私が起きた時は、ベッドの下に寝転んでいた。元気になるとこれが始まるので困ったもんだ。幸子姉さんが来て下さった。晶子ちゃん二十三日に男の子を出産されたそうだ。

  • 四月二十八日(木)
     昨夜は三時半頃目が醒めてから朝迄眠れず、今朝は足が痛くて四時頃目醒めてから寝ているのがつらくて五時頃主人に起こしてもらって車椅子に座って居眠りしていた。

  • 四月二十九日(金)晴れ
    今日から、ゴールデンウィークの始まりで、空港や鉄道、道路は出かける人達でいっぱいらしい。私達には縁のない話だ。でも近所でいいから新緑を見に行きたい。

  • 四月三十日(土)
    寿代が、バイトに出かけてしばらくしてから、おばあさんがトイレに行きたいと言い出し、止めても強引に行こうとするのでヒヤヒヤしながらついて行き、なんとかお通じしてガサガサ乍ら、オムツはめてズボンを上げ車椅子につかまってもらって、椅子に座れてやれやれと思ったが、トイレの床に便がごっそりついた尿パッドが落ちて後始末が出来ず困った。連休なのでひょっとして、園子姉さん来て下さるかもと思ったが来られなかった。

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  • 五月一日(日) 曇りのち雨
    今朝、園子姉さんより、お昼過ぎに行きますとのお電話頂き一時半頃来られた。鯖寿司とぬれ甘納豆と、ちまきの御土産頂いた。昨日同窓会があったそうで明日はゴルフ行きとか、今月末にお二人でヨーロッパへ旅行されるそうだ。会社から八日間の休暇と十万円支給されるそうで流石、大きな会社は違う。四時頃お帰りになってしばらくしたら雨が降って来た。昨夜、希代子から電話があり食べすぎてお腹こわしたらしい。それだけ食べ物が、おいしいということだろう。

  • 五月二日(月)
    今日は、汗ばむ程の陽気だった。お風呂に入れてもらいすっきりした。おばあさんも着替えして頂いたが、熱くなってきたせいか、アンモニア臭がきつく部屋中臭い。

  • 五月三日(火)晴れ時々曇り
    今日も夏のように暑かった。主人は久し振りにテニスに行き、正隆は家でゴロゴロ、希代子や寿代は休みがあれば、友達とあっちこっちへ遊びに行くのに、折角のお休み家でゴロゴロなんてもったいない。一緒に遊びに行く友達がいないのか、ちょっと可哀想な気がする。主人は夕方、ライオンズの川島さんと来年のお正月の例会の、会場の下見に出かけた。

  • 五月四日(水)曇り
    主人一日仕事。正隆午前中仕事。夜八時過ぎ、希代子帰宅。元気で無事に帰って来たことが何より、色々土産話を聞いて、流石というかやっぱり中国だなあと感心したり、中国人はバイタリティがあって親切だと聞き、同じ東洋人として嬉しくなりもっと中国に関心持たなければと思う。

    中国の 旅の話を する娘  土と漢方の 匂いほのかに

  • 五月五日(木)曇り
    今日は少し風が強く、ヒヤッとしていた。主人は午前中仕事。午後からテレビ観ながらゴロ寝、散歩に連れて行って欲しかったが,おばあさん置いて出る訳にいかず、連休の一日どこも出ずでちょっと残念。家にいて日光浴出来る部屋がないので、何カ月も日光浴しないので増々骨が弱りそう。せめて日光浴出来る部屋があったらなあ。

  • 五月六日(金)曇り
    久し振りに、おばあさんディサービスに行かれた。主人、正隆、希代子も連休終って、今日から仕事。

  • 五月七日(土)曇り
    お尻に又、床ずれが出来た。通信教育の絵を早く描いて出さなきゃと思い乍ら、一枚も描けていない。時間はたっぷりあるのに、描く気が起きない。この頃本もあまりよまなくなってバカになるぞ。

  • 五月八日(日)晴れのち雨
    今朝早く希代子は、習字の錬成会行き。主人はライオンズの水郷巡り。午前中、とても良いお天気だったので、家の前で三十分程日光浴させてもらって顔が真っ赤になった。二時頃迄、良いお天気だったのに急に曇って来たと思ったら、雷は鳴るはどしゃ降りになるはでびっくりした。正隆はお布団干して出かけてしまい、ぬれてしまったらしい。今日は母の日なので、希代子と寿代が夏のブラウスをプレゼントしてくれた。昨晩稔さんから、おばあさん元気にしてますかと電話頂いた。

  • 五月九日(月)晴れ
    主人は昼から、東京の清林寺さまへレンタカーで、納入に行き夜九時に着いたらしい。随分時間がかかり疲れたと思う。

  • 五月十日(火)晴れ
    今日又、おばあさんがオムツをはずしてしまい、防水シーツ迄はずしてあったので、掛
    布団も敷布団もぐっしょりぬれてベッドマット迄ぬれていた。良いお天気だったのでお布団は乾いたが、気持悪いので敷布団は別のを出してもらった。その時に肌布団のいらないのを、お布団の買えないお年寄りの方に、渡して頂くようお願いした。おばあさんの靴も、持って帰って下さった。主人は、夜八時半に帰って来た。

  • 五月十一日(水)
    主人は疲れたのか、おとといも今朝も九時過ぎに起きて、ヘルパーさんと顔を合わせても、軽く挨拶するだけで「いつもお世話になってます」と言ってくれないので気を使ってしまう。前も言ってくれるようにたのんだのに。正隆に挨拶が出来ないなんて言えない。父親が手本を示さなくてどうすると言いたいが言ったこちらが怒られるので言いにくい。

  • 五月十二日(木)晴れ
    昨日は大雨だったが、今日は晴れて良いお天気になった、今日は十一日振に、お風呂に入れて頂き気持ち良かった。昼頃、突然洋子から電話あり、慰安旅行で京都へ来てるからそちらに行くとの事で、一時半頃、萌ちゃんと来てくれた。今年からディサービスセンターより、老人ホームに移り、な金もあり夜中徘徊するボケ老人の世話が大変らしい。いつも人の嫌がる仕事を一生縣命している、洋子は本当に偉いと思う。

  • 五月十三日(金)晴れ
    今朝も又、おばあさんはオムツはずしてすっぽんぽんになり、防水シーツ迄はずして、大洪水の中で寝ていた。オムツはずして二、三回おしっこしたのか、先日替えた敷布団がぐしょぐしょ、洗濯もどっさりあるが、寿代は学校があるから洗濯しかけてお布団干して、出かけたので後の事をヘルパーさんにお願い出来ないか、電話したが担当の人がいないから出来ないとのこと、こうなると、頼りは令子ちゃんなので電話したら、訓三さん連れて来てくれた。訓三さんは細かったが思ったより元気そうで安心した。洗濯物干してもらったり、お布団のことしてもらって助かった。

  • 五月十四日(土)曇り
    昨夜は、おばあさんにつなぎのパジャマ着せたので、今朝はちゃんと寝ていた。着替えの分も買っておかなくては。

  • 五月十五日(日)雨
    昨夜、寿代は小学校の同窓会に行って、二時半頃帰って来た。主人は仕事。十二時半頃、雨降りの中バイクに乗って、お参りに来て下さった。

  • 五月十六日(月)
    つなぎのパジャマにしたら、やはり脱げないからぬれることもなく助かるが、トイレに行った時しにくいので、朝晩着替えさせないといけないので、特に夜は嫌がるので、娘達は気の毒だ。

  • 五月十七日(火)
    石津さんの急用とかで、変わりに安原さんが来て下さった。石津さんだったら、主人の布団カバーや、シーツ洗って頂こうと思っていたが、安原さんなので遠慮した。私達が朝御飯頂いてる間は、あまり用がないので手持無沙汰にしておられるので、そんな時はしょっとぐらいなら、家族の事もして頂けると有難いのだが、規則を忠実に守っておられる。石津さんのように融通利かせて下さるのを期待するのは、間違っいているかしら。

  • 五月十八日(水)晴れ
    おばあさん、オムツで便が出ていて、パジャマも汚れて後始末が大変だったけど、ヘルパーさんがきれいにして下さって助かった。幸子姉さん来られて、リンゴ頂いた。

  • 五月十九日(木)晴れ
    今日は入浴の日で、熱めの湯舟に入れて頂き、気持よく身体も少し、軽くなったような気がする。希代子や寿代は、私を入浴させなくても良くなって、楽になったと喜んでいる。NHKの絵画の、通信教育の担当の方から、作品の提出が遅れているが、頑張って提出するようにと書いてあり、早く描いてださなきゃと、毎日思っているのに行動に移せない。行動力の無さに自分でも情けない。

  • 五月二十日(金)晴れ
    最近日中は暖かいが、朝晩寒く肌布団に替えてから、寒い日が続き朝等寒くてしょうがない。まあ冬から比べればずっと楽だが。今日は、リハビリセンターに診察に行ったが内科で、長いこと待たされるので、帰ったのが二時半頃でヘルパーさんに気の毒だった、貧血のお薬もらうだけだったら、整形で頂けないか、今度お聞きしてみよう。原田さんと上田さんにお会いした。塩見さんもまだ七号室におられてお元気そうだった。

  • 五月二十一日(土)曇り
     久し振りに希代子も寿代も揃って、休みだったので昼から、長岡天神へ行ったがツツジの季節は終わって大したことはなかったみたい。正隆は、初めて工部青年会に入会して、総会に出席したが、ちゃんと挨拶出来ているだろうか、誰かに誘って頂いて二次会に、行ってるのだろうかと、主人と帰りを待っていたが帰らなかった。

  • 五月二十二日(日)晴れ
     正隆は工場に泊って、十時頃家に帰って来た。色々聞いてもあまり話してくれないが、昨夜は、五明さんに二次会に連れて行って頂いたらしい。同じ年の人が新しく入会してたらしく、お友達になれたらしいが、少しずつ慣れて皆様にかわいがられて、信頼されるとうになって欲しい。

  • 五月二十三日(月)
     昨日あたりから気温がた楽夏が来たという感じ、窓を開け爽やかな風が通り気持ちが良い。

  • 五月二十四日(日)晴れ
     今日も石津さんお休みで、連絡の行き違いから十時になっても来られず、福祉協会に電話して十時半頃、安原さんが来て下さった。

  • 五月二十五日(水)曇り
     安原さんから、嵯峨駅の近くにあるバラ園のような喫茶店の話を聞き、絵葉書を見せて頂いた。今が一番美しい時だそうで、娘さんに連れて行ってもらったらと言われたが、まあ無理だろう。おばあさんがディサービスに行っている間に、行ければ一番いいのだけど、皆会社や学校だし、それより以前のヘルパーさんの時は、お天気の良い日等、おばあさん散歩に連れて行って頂いたのに、今はそんな時間が全然ない、以前と、して頂いてたことはあまり変わりなく、むしろ前は、家族の分の洗濯や食器等も洗って頂いてたのに、なぜなのかしら。保木さんが西山霊園のお墓におまいりされるついでに家に寄って下さり、ちまきを頂き、メロンとリンゴをお渡しした。お元気そうで後からお電話頂き、みんなに良くしてもらい今が、一番幸せがと、喜んでおられた。

  • 五月二十六日(木)雨
     今日は久し振りに雨降り。お風呂に入れて頂き気持ち良かった。おばあさんもお尻かゆがるのでシャワーかけて頂いた。夕食後、正隆が重大発表があると言うので、何かと思ったら家を出て一人で暮らしがしたいとの事、これは正隆の希望と云うより、希代子と寿代の希望の方が強く、なぜ正隆が家を出た方がいいのかと云う、理由を紙に箇条書きにして、見せてくれたのを見て、希代子の習字の練習する場所がない、ガレージに二台も正隆のバイクが置いてあり邪魔だ。正隆は将来ずっと同居するのだから、今一人暮らしをさせても良いのではないか等、なるほどと思い、主人も賛成したら、子供達は喜んで、いろいろ計画を練ってる様子、まずアパート探しからしなきゃならないが、バイクで五分以内の所で、家賃の相場はよくわからないが、五万円以下であまり汚くない所があればいいが、休みの日以外は家で食事をすると云う条件なので、自立と迄は行かないが、少しは基本的な自分の事は自分でする、習慣が身について欲しいが、あまり期待出来そうにない。

  • 五月二十七日(金)
     雨降りが二日続いただけでじっとり蒸し暑く、もうすぐしたら又、いやな梅雨の季節が来ることを思い出した。

  • 五月二十八日(土)はれ
     希代子はお友達と、滋賀県へキャンプに行くとかで朝九時半頃出かけ、寿代もバイトで九時頃出かけたので、お昼御飯何もないのでバナナを食べた。昼から絵を描こうと思ったが、何を描いたらよいか分からず又、一日無駄に過ごしてしまった。この前からスケッチを始めたが、手がふるえたり、描いたところを擦りながら描くので、汚くなったりうまく描けない、こんなことであきらめては、いけないと思ってが意欲がなくなって情けない。

  • 五月二十九日(日)晴れ後雨
     今日は大阪へ神輿を、納めるとかで朝七時半頃、主人と正隆は出かけた。希代子はキャンプで。寿代は昼から、フリーマーケットに出かけ、夜はお寿司を取った。

  • 五月三十日(月)晴れ
     アイバンクに登録したいと、主人に相談したらいざ亡くなった時に、アイバンクに電話する余裕等無いかも知れぬ。お医者さんの方から登録しているか否かを、聞いて手続きしてくれるならいいが、そうでなければ登録しても無意味だと云う。アイバンクの方に問い合わせたら、お医者さんの方から聞くと云うことは、心情的に誤解を招いたりするので出来ない、遺族の方から連絡してもらったら、自宅ででも小一時間で手術して、義眼を入れてくれると云うこと費用は無論無料でそうだが、やはり主人はいい顔しないので、やめておいた方がいいのか、もっと年取ってからした方がいいのか、迷ってしまう。

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  • 六月一(水) 晴れ
     おばあさん元気で毎日夜中や朝歩き回るので、お医者さんに言ったら、興奮おさえる薬を出しますと言われたが、別に興奮している様子でもないの、飲ませるタイミングが難しい。幸子姉さんが来て下さったが、昼間もすぐ立って歩こうとするので驚いておられた。転びさえしなければまあ歩き回ってもかまはないが、どんな拍子で転ぶかわからないので、今正勝兄さん夫婦が旅行中なので、もしものことがあったらと思うと気が気でない。

  • 六月二日(木)
     お風呂に入れて頂き気持ち良かった。良いお天気で日中は暑かったが今頃の気候が一番いい。

  • 六月三日(金)
     寿代は今朝早く、スケッチ旅行に一泊二日の予定で出かけ、希代子は英語で帰りが遅くなるしおばあさんのパジャマや下着等、洗濯しても干してもらえないし困ったなあと思い、又、令子ちゃん頼ったら悪いなと思い乍、来てくれたらタクシーチケット分けて上げようと思い、九時前後に電話二回しても誰も出ないのでちょっといやな予感がしてたら十時半頃、令子ちゃんより電話があり今朝五時頃、急に腹痛起こし救急車で運ばれる途中吐血して病院で診てもらったら胸の周りに血腫がたまり手術して血腫をとらなきゃいけないらしいけど非常に危険な状態で手術も難しく二十四時間程かかりみし助かったとしても歩けなくなるかも知れず脳にも影響するかも知れないと涙声で言うのを聞いてなんでこんなに訓三さんを苦しめることばかり起きるのか令子ちゃんや子供達を悲しませることばかり続くのか、どこにも怒りのぶつけようがないだけにつらい。私には只ひたすら助けて下さいと祈る外、何も出来ない。今迄も何度も危機を乗り越えて来たのだから今度もきっと大丈夫とは思い乍不安だ。網田のお父さん、お母さんどうか守って下さい。お願いします。

  • 六月四日(土)
     今朝八時過ぎ令子ちゃんより電話あり、手術は七時頃終わったらしく、一名はとりとめ脊髄も損傷せずにすんだとのこと麻酔が醒めるのに時間がかかりそうだが、まずは一安心。どうか順調に回復します様に。昨夜お兄ちゃんからも電話があり、一月の時に手術した時の状況が瞼に浮かび、令子ちゃんや子供達の不安な様子に目根が痛むと言っていた。

  • 六月五日(日)晴れ
     午後から正隆と希代子は、正隆が一人暮らしをするマンションを見に行き、西大路八条辺りにいい物件を見つけて、手付一万円払って来た。冷暖房、電話、冷蔵庫、ブラインド、BSアンテナ等、こちら側は何も用意しなくていいぐらい、色々備わって、家賃四・四万円はまあ妥当かなと思い、主人もそれで良いと言ってくれたので、明日残りの家賃三・四万円払って、部屋の確保してもらうことにした。

  • 六月六日(月)晴れ
     毎日良いお天気で、真夏日のように気温も高いが、湿気がないだけましだ。一週間程前からトイレの横で、猫の鳴き声がしていると思っていたら、どうやら子猫三匹生まれ、親猫二匹と五匹で住みついているらしく、玄関の周りをウロウロして、植木の葉を食べたり、ふんをしたりして困るので、保険所に引き取ってもらおうと電話したら、ハンコと一緒に持って来て下さいと言われてびっくり、取りに来て下さるものとばかり思っていたのに、持っていくことなんて到底出来そうもないし、困ったもんだ。しばらくほっておいて様子見るしかない。

  • 六月七日(火)晴れ
     家の裏でカサカサ音がするので、そっと見たら可愛い子猫が二匹いた。エサはどうしているのか気になるが、こちらでエサをやったりしたら、住み着いてしまうので可愛そうだがほっとくしかない。石津さんがコーヒーかすを置いておくと、猫がいなくなると言っておられたが、うちにはないのでしばらく様子みるしかない。

    三匹の 子猫を守る 野良夫婦  庭汚れるも 追い出せぬまま

  • 六月八日(水)
     昨夜おばあさんのオムツ替えようとしたら、便がベッタリついてたので今朝ヘルパーさんが来て下さったら一番にシャワーで洗って頂いた。幸子姉さんに夏用のつなぎのパジャマを作って頂くようお願いした。

  • 六月九日(木)雨後曇り
     今日から梅雨に入ったが、昼前には雨はやんだ。正隆のマンションの契約金、四十七万程渡して契約書をもらって来た。明日書類渡したら、鍵もらえて十二日から入れるらしい。

  • 六月十日(金)曇り
     厚生園のソーシャルワーカーの源野さんが、レンタルのベッドの手続きをして下さった。書類を社会保険事務所へ渡したら、レンタル料の七割負担して下さるそうだ。

  • 六月十一日(土)
     寿代はスキーツアーで知り合った京大法学部四年の学生さんと、初のデートでエキスポランドへ行き夕方六時頃帰って来て楽しかったらしい。法学部の学生さんというと硬そうだがとても楽しい人らしい。色々な人と付き合うのはいい事だと思うので、静かに応援したい。

  • 六月十二日(日)雨時々曇り
     正隆の引越しを、希代子が手伝いテレビ台やベッドを、京タンスに見に行きテレビ台三万五千円のは買ったが、ベッドは高過ぎたから買わなかったと言って、帰って来たのでセシールのカタログ見たら、安いのがあったのでそれを注文そることにした。希代子達が、出かけている間、おばあさんはパジャマのチャックを開けて、オムツをはずしてしまい、換えのオムツ付けようにも私の力では出来ず、パジャマのチャックもはめられないので、そのままにしてたら誰かにしてもらうと言って、テレビの前に行きテレビに写ってる人にちょっとお願いしますと何度もたのみ、知らん顔して聞こえないのやろうか等と言っていた。よその人やたまに会った人の前では、あまりおかしなこと言わないのに私と二人でいる時は、おかしなことばかり言ったりするので、毎日だと笑ってばかりもいられず、イライラしてくる。以前のように優しく出来なくなる。

  • 六月十三日(月)
     梅雨に入ってから、やはりよく雨が降る。シャワーで身体洗って頂き気持ちよくなったのに又最近、トイレ行ってパンツおろす迄に尿がもれてしまい気持ち悪い。

  • 六月十四日(火)曇り
     だいぶ前から目がゴロゴロして、かすんで見えにくい。老眼鏡をかけると目のかすみはましだが、ゴロゴロは直らず、眼科へ行って診て貰いたいがなかなか行ける時がない。寿代が夏休みになるのを待つか、ヘルパーさんにお願いしてみようか。

  • 六月十五日(水)晴れ
     今日はいいお天気で、熱かった。十時頃、長覚寺さまが来て下さり、十時半頃、お医者さんが来て下さって鉢合わせとなり、お寺様には、お茶無しで帰って頂いた。目がショボショボするので、じきに居眠りしてしまう。

  • 六月十六日(木)晴れのち曇り
     今日は正隆の二十二才のバースデー、お父さんの仕事を手伝うようになって二年過ぎ、主人曰くようきばってる、ようやっているそうだ。親バカのひいき目が多分あるとしても、まあ真面目にやっている事は確かだし、少しはしっかりしてきたとは思う。プレゼントは何もないしご馳走もして上げられないが、本人も全然あてにしていないししてほしいとも思ってないみたいなので助かる。

  • 六月十七日(金)晴れ
     リハビリセンター行き、先に内科で血液検査して、整形で骨折した腕を一年ぶりぐらいに診て頂き、歪を直してもらえないか聞いたが無理に動かすと良くないと、どうせすぐ戻ってしまうとのことで、結局は手術の話になってしまう。内科では貧血の薬飲んでも十前後が限界だから、もうお薬は飲まなくてもといとのこと。塩見さんにプルーンをお渡しして帰った。今日は生理二回目で一晩多い日なので、三階にはいかず退院して一年半ぶりぐらいに、4回へ行き久し振りに吉本先生にリハビリいて頂いた。昨日令子ちゃんに電話したら、牧野さん、今回は意識が戻るのは早かったがその分、痛みがきつくて食欲がまれでなくて、なかなか体力が回復しないらしい。千葉のお兄ちゃん夫婦がお見舞に行ってくれたそうだ。日帰りだったので私の方へは連絡しなかったらしい。忙しいのに二人で行ってくれてやっぱり兄妹だと令子ちゃんも喜んでいたし私も嬉しい。

  • 六月十八日(土)雨
     しばらく晴れの日が続いていたが、今日は雨降り。夕方四時半より、一行寺さまで建都千二百年を記念しての法座があり、久し振りに主人と正隆とお参りさせて頂き、お話に後、正隆は帰り、主人はハイコックでお食事を頂いて帰って来た。二十二年前に主人達が造らせて頂いた、一行寺さまの本堂を正隆に、ちゃんと見て欲しかったそうだが、正隆はどう思ったか、何も言わないがお父さんが、こんな立派なお仕事をしたのだと、分かってもらえればいいと思う・

  • 六月十九日(日)雨
     晴れていたら今日は、希代子と友達とでフリーマーケットに出店する筈だったが、あいにくの雨で中止となり。昼から遊びに出かけた。正隆は二・三時間仕事して来た。政子叔母様より電話頂き、福江叔母様が二ヶ月程前に、転んで肩を骨折されて近々退院されるとの事、御見舞によさせ頂きたいが弘さんも忙しくて行けないから、お見舞いだけ送らせて頂こうと思っているが、そちらはどうしますかと聞かれたので、うちも主人が忙しくとてもいけそうにないので御見舞だけ送らせて頂くと申した。お互い一万円と決めた。おばあさん日がな一日、パジャマのチャックを触り倒し、しまいにチャックをこわしてしまいそうだ。昨日は私がトイレ言ってる間に、ウロウロして転び下痢して便でパジャマも汚れ、希代子と寿代にシャワーでお尻洗ってもらった。昨日は三回も便が出て、その度に希代子に後始末をして可愛想だった。こんなことを毎日しているのを、主人の兄弟達に知ってもらいたい気持ちになる。でも話たら恩着せがましくなるので言えない。だからイライラする。

  • 六月二十日(日)雨日曇り
     セシールで注文したベッドを、正隆のアパートに持って行って組み立てたが、サイズが合わないし反り返ってたりで、全然組み立てられないと言うもで返品する事にした。やはり大型商品は少しは高くても、お店で注文して持って来てもらうのが一番。

  • 六月二十一日(月)曇り
     今日はとても涼しかった。今朝三時頃又、おばあさんウロウロ歩いていたので、希代子が寝かせてくれたが、興奮してなかなか寝ないので部屋の鍵をかけて、テーブルをふすまにトンとつけて、おいたらあきらめて寝たようだ。それからしばらくして希代子が、何度かトイレにいってたので聞いたら、お腹が痛くて下痢してると云うので、寝不足だし風邪ひいたのかもわからないから会社休んだらと言って、午前中休んでいたが会社から電話かかって来て、出勤して欲しいとの事で昼から出かけた。役に立っている、頼りにされているということは嬉しいが、一日ゆっくり休ませようと思っていたのに残念。生協が主催している助け合いに会の方が来て下さり、入会申し込みをした。月一度程、私を散歩に連れて行って下さるようお願いした。

  • 六月二十二日(水)晴れ
     朝七時過ぎ、おばあさんがベッドから降りて畳の上をウロウロ歩いて転び、畳の上で転ぶことは、今迄何回もあったが大丈夫だったので、今度も又、ころんだぐらいにしか思ってなかったら、右足が痛いと言って少しでも動かそうものなら、とても痛がりパジャマとオムツもヘルパーさんと寿代と二人がかりで、やっと換えてもらい、お医者さんに診て頂いたらレントゲン撮った方がいいとのことで、寝台車を手配して下さり、寝台車が着く前にちょうど幸子姉さんが来て下さって一緒に、病院へ行って下さり、レントゲンで診て頂いたら、大腿骨が骨折しているから入院して手術するかも知れないとの事、まさか骨折しているとは思わなかったのでびっくりした。空いている部屋がないとかで長いこと待たされて、やっと集中治療室に入れて頂いたらしい。けん引して元気にしていると言っておられた。夕方、寿代に入院に必要な物を色々持って行ってもらった。ディサービスや福祉協議会に電話して、ベッドの申請も取り止めてもらった。 

  • 六月二十三日(木)雨
     雨降りだと私が、連れて行ってもらえないので、梅雨があける迄困ってしまう。

  • 六月二十四日(金)曇り
     寿代に病院へ行ってもらったら、おばあさん喜んでいたらしい、食事も食べさせて上げたら、結構食欲あったみたい。おばあさんがいないと、イライラしたり気を使うこともないので楽だが、なんとなく気が抜けたみたい。

  • 六月二十五日(金)
     朝のうち涼しかったが、昼から暑くなって来た。おばあさんがいないと、イライラしたり気を使うこともないので楽だが、なんとなく気が抜けたみたい。

  • 六月二十六日(日)晴れ
     正隆のベッドは、来週の日曜日でないと、配達してもらえないが、寿代が早く正隆の部屋に、移りたいので強引に引っ越してもらった。希代子と寿代の都合で、引っ越してもらうので、実によく引っ越しを手伝った。

  • 六月二十七日(月)曇り
     実に蒸し暑い一日だった。病院へ連れてって頂き、主治医の先生にお会いしたら、三十日の一時から手術しますとの事、三年前にこっせすした時と同じ状態なので同じ手術をするそうだ。晩に園子姉さんと稔さんに、電話したら稔さんは七月の中頃京都に行きますとのことだったが、園子姉さんは何ともいわれなかったが、術後に来て頂けると助かるのだが。

  • 六月二十八日(火)雨のち晴れ
     夜中すごい土砂降りで、十一時半頃迄雨が降っていたが、その後やんだので福祉事務所へ連れて行って頂き、ベッドの支給をお願いしたら手帳見せて申請書に名前と印鑑をおしただけで手続きが済み、全額支給で二週間以内に配達して下さるとか、色々難しく考えていたが嘘のようでこんなに簡単に支給して頂けるなら、もっと早く手続きしたらよかった。 

  • 六月二十九日(水)晴れ
     明日、手術の立ち合いに仕事が忙しくて主人は、行けないので私が夕方まで病院にいるとき幸子姉さんに電話したら、容子さん来んでもいいから園子さんに来てもらうよう電話したらと言われたので、夜、主人が帰って来た時そう言ったら、いずれお兄さんと相談してることやろからそれで来ないのなら最速の電話をするな、やっぱり病院にわしが行くと言ってくれてたのでホッとした。今度の日曜日に、お兄さんの同窓会があって来られるそうだからその時一緒に、園子姉さん来て下さるかも知れない。

  • 六月三十日(木)曇り
     一時半から、おばあさんの手術が始まり二時間半で終わったそうだ。全身麻酔なので今日はずっと覚酔状態だから幸子姉さんも、五時頃帰ると電話頂いた。主人は手術前に主治医の先生に会って、手術が始まってから帰ったそうだ。御礼五万は幸子姉さんが、渡して下さったようだ。
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