旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
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  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  第2回目の日記 平成二年五月〜平成八年迄 短歌を始める
  • 平成六年十月一日(土) 晴れ
     今日はおばあさんの、八十二才のバースデー、希代子が病院へ行ってくれたが、相変わらず食欲なくて、口もよく回らないらしい。

  • 十月二日(日)晴れ
     本当に久し振りに、主人と外出した。主人が日曜日に仕事に行かなかった日なんて、お正月以来のこと。昼から阪急で河原町迄行き、高島屋から出てタクシーに乗ろうと地下食道街を通っていたらバッタリ、小川貴史さんの奥さんにお会いして、近況等を御聞きしたら、小川さんはロンドンで支社長として活躍なさっているとか、淳史君は東京で大輔くんは、愛媛の大学にいってるので、いつもは奥さん一人らしいがお仕事があるし、海外旅行等気楽にしておられて淋しいという感じは、全然見受けられなかった。高島屋の前からタクシーで美術館へ行き平安建都千二百年展を見たが、模型や瓦等がメーンで大したことはなかった。美術館を出てずっと主人が車椅子おして、京都ホテルをちょっとのぞいたり、川原町通りを通って高島屋へ行き、そこから地下道通って大丸へ行き、食堂で夕食をすませタクシーで七時頃帰って来た。美術館から大丸迄、歩いて押してくれたので主人は随分疲れたと思う。明日足が痛くならなければ良いが、久し振りの外出で楽しかった。お父さんありがとう。

  • 十月四日(火)曇り
     四時に病院に行き。先生の説明をお聞きした。相変わらず食欲がないので、栄養剤を減らして食欲増進剤を投与する。大腸のポリープはそれ程、悪いものではないが放置しておけば2・3年後に腸閉塞を起こすかも知れない。今のうちなら内視鏡で簡単に除去出来る。しかし食欲がもう少し出て来ないと、しても意味が無いから食欲が半分程出て来たら、実行するとの事だった。果たしてこの先、食欲がでるかどうかが問題でと思う。

  • 十月六日(木)晴れ
     おばあさん少し食欲出てきたようだ幻覚症状か見えないものが見えると、天井ばかり見ていた。

  • 十月七日(金)曇り
     リハビリセンターへ行く前トイレへ行ったら、座布団に血がついていたのでびっくりした。先生に診て頂いたらたいした傷ではないが、消毒して薬をつけるように言われた。最近ちょっと油断して、夜、寝るのも遅かったりしたからかな。中塚さんも坐骨部分が床ずれで、気の毒に抜糸が済むまでうつ伏せで寝てなきゃならないとか、どんなに辛いことだろう。私も気をつけなきゃ。

  • 十月八日(土)曇り
     主人と正隆は、今日午後より京都伝統工芸会の祝賀会があり、寿代は永観堂幼稚園の、運動会の準備の手伝いに行き、夕方終わってから菊香荘の手伝い。希代子は昼から菊香荘、夕方帰ってから英会話に行って、夕食は一人でお菓子食べた。菊香荘のアルバイト頼まれても、友達も皆お勤めしているし、希代子と寿代もそれぞれ忙しいので無理にやりくりして行かなければ、ならないので頼まれたらお断りしなくちゃうちを当てにしてもらっては困る。

  • 十月九日(日)晴れ
     朝五時二十分頃、寿代は家を出て幼稚園行き。希代子は昼から菊香荘行き。夜十時頃、幼稚園の主任さんから電話あり。寿代がお酒飲んでダウンしてるので、十二時迄にお宅へお届けしますとの事、十二時廻ってから園長先生に送られて帰宅。お酒二杯一揆飲みして急性アル中になって倒れ、苦しくて何度も戻したらしい。園長先生が親身に介護して下さったとか。希代子は一時頃帰って来て、次のアルバイトの件忙しいのを間の当たりにみてたら、よう断わらなかったそうだ。家ではきついこと言っても面と向かうときついこと言えず、相手の立場を考えてしまうという所は、私と似ているし、又、そういう子でよかったと思う。二人共くたくたになっただろうが、愚痴は言わなかった。

  • 十月十日(月)曇り
     寿代は二日酔いもなく元気に起きてきた。主人は作品展搬出の為、朝は出かけ、夕方帰って来たが身体がしんどいと言っていた。最近外で飲む機会が多かったのと、工場で寝て風邪でもひいたのではないかしら。

  • 十月十一日(火)
     昨日は祝日だったので、ヘルパーさんお休みがったので、今日シャワー浴させてもらった。月曜日の方が十八時迄なのでこれから火曜日に入れて頂こうと思う。

  • 十月十二日(水)
     今日はとても蒸し暑かった。三十度以上あったらしい。〇年だったら朝晩冷え込む季節なのに寒いのが嫌いな私には結構なことだ。

  • 十月十三日(木)晴れ
     チーフヘルパーさんが来て下さり、湯舟に入れて下さった。これからその要領で入れて頂くことになった。おおばあさん、お昼御飯自分で半分以上食べた。最近食欲が出てきてよかった。

  • 十月十四日(金)晴れ
     生協のヘルパーさんが来て下さり、区役所とおばあさんの所へ連れて行って頂いた。佐武さんから久し振りに電話あり、床ずれで入院してたことを話したら、彼女もしょっ中床ずれになるが、ほっといてもいつの間にか治ると、言われたので今迄はどうもなかってよかったが、床ずれは悪化したら怖いから保健婦さんにでも、診て頂くように言ったらそんなに怖いものだと思わなかったから、これから気をつけると言っておられた。

  • 十月十五日(土)曇り
     希代子はテレビ番組の「ノックは無用」を見に行き、テレビに映るかも知れないというので、目をこらして見ていたが全然映ってなかった。夜帰って来て聞いたか端の方にいてそこ迄、カメラを回してくれなかったそうだ。主人疲れた顔して帰って来たので訳を聞くと、昨夜お酒飲み過ぎて、工場に泊ろうとしたがキーを落としたので、公園の砂の上で、一晩中寝ていたとか、よく風邪もひかず何事もなかったものだ。もうお酒は飲まんといってたが二日酔いした時は、いつもそう言って二日と持ったらいい方だから、今度もあてにしてないが、身体壊さない様に気をつけてほしい。

  • 十月十六日(日)曇り
     昨日おじいさんの祥月命日だったが、誰もいず用意してもらえないので、今日来て頂いた。今年で九回忌になる、早いものだ。あの時は今時分もう寒くなっていたが、今年は窓開け放っていても寒くなく、ブラウス一枚でいられる。

  • 十月十七日(月)晴れ
     待ちわびていた車椅子届けて頂き、早速、新しいのに座ってみたら軽く動いて、乗り心地が良かった。古い方は大型ゴミに出して下さいとの事、室内用はゴミに出すとしても外用はもったいない。

  • 十月十八日(火)曇り
     四時に西京都病院に先生の、説明をお聞きしに行った。最近食欲も少し出てきたので、大腸ポリープの摘出手術を月曜日にして様子をみながらリハビリもして、十一月十日にその後の経過を報告して、異常がなければ退院して下さいと言われた。手術した後、食欲とか体力がどうなるかわかかないが、十一月中頃には退院ということを予定してそれなりの体制をとらなければ、いろいろ不安はあるがやってみなければわからないし、又、娘達に負担がかかるがなんとか協力してほしい。

  • 十月十九日(水)曇り
     朝、ライオンズから花束が届けられ、今日が結婚二十五年だということを思い出した。銀婚式というと随分長く経ったような気がするが、私としては短かったような気がする。子育てに忙しかった日々がなつかしい。結婚して六年後に、リウマチとなり痛い痛いと言いな乍ら、主人に充分に尽くすことが出来なくなり、迷惑ばかり掛けて来たので、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで過ごして来たが。面と向かって御礼を言ったことはない。今夜言ってみようかな。

  • 十月二十日(木)
    ヘルパーの森さんはおおらかな方らしく、硬いこと言わずにおばあさんの食事の介助や、家族の洗濯物もさりげなくして下さるので助かる。それに甘えてしまってはいけないと思うが困っている時は本当にありがたい。

  • 十月二十一日(金)雨
     久し振りに本格的な雨振りで、肌寒かった。夜、主人がラインズの会合から帰って来て、ライオンズクラブからの、銀婚式のお祝いを頂いて来たので、開けて見るとカシミヤのセーターが二枚入っていた。一枚三万九千円の値札がついていた。主人が御礼の気持ちを「へえ銀メダル獲得か、今後はのんびり、金に向かって歩みだそう」と書いてお渡ししたとか。私へのメッセージでもあり嬉しかった。
  • 十月二十二日(土)曇り
     昨夜主人が書いてくれたメッセージを、なんとか記念に残したいと思い。京都新聞の「小窓」欄に投稿することにして、原稿用紙に4百字以内で文章を考えて書いた。果たして採用されるかどうかわからないが、採用されたら何よりの記念になるし主人も喜んでくれると思う。どうか採用されます様に。

  • 十月二十四日(月)晴れ
     十二時頃、病院へ行ったらおばあさんはまだ大腸ポリープの摘出手術中で四十分程して上がって来たが疲れたのか、顔色も少し悪くぐったりした様子だった。熱もあるのか水枕をしていた。

  • 十月二十五日(火)
    肌布団では寒くなって来たので羽毛布団を出して頂いた。生理でシーツや下着汚して洗って頂いた。毎回汚して申し訳ない。

  • 十月二十六日(水)
     肌寒くなって来たのに薄着をしていたせいか、急に寒くなってきたので身体がついていらないのか風邪をひいて鼻水が出てきた。鼻をチーンとかむことが出来ないのでうっとうしい。明日はお風呂はやめておこう、生理なかほど気持ち悪いから入りたいが仕方がない。

  • 十月二十七日(木)晴れのち曇り
     おばあさん、割と元気そうで昼食殆ど食べられた。手術終ったら点滴はずしますと先生が仰っていたが、点滴も尿管もはずれていなかった。

  • 十月二十八日(金)曇りのち晴れ
     一昨日から急に、奥歯の抜けた所がたいして冷たくないお茶でも飲むとズキンと痛くなって来た。抜けた所に根っこが残っていたので、それが虫歯になったのか神経が出て来たのか、歯を磨くのもお茶を飲むのも怖い。歯医者さんに行って開けられない口を、無理やり開けられてガリガリされるのはもっと怖いが、ほっといても大丈夫かしら。

  • 十月二十九日(土)曇り
     幸子姉さんが病院へ行って下さったら、おばあさん熱出して食事も食べられずぐったりしているとか、この前行った時は沢山食べて元気そうだったのに、どうしたのかしら。急変するような事なければよいが

  • 十月三十日(日)晴れ
     希代子は友人とバーベキュー、寿代はラクロスの試合で朝から出かけ、主人もゲートボール大会に行き、三時頃優勝したと言って帰って来た。それから正隆と三人で、正隆のスーツのオーダーに大丸へ行き、紺のスーツとカッターを注文して正隆のネクタイ二本買って、おうどん食べて帰った。主人はゲートボールで肩を痛めたのか肩が痛いとか、風邪をひいて鼻をぐすぐすしていた。

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  • 十一月一日(月)
     病院へ行ったら、幸子ねえさんが来て下さっていたので早めに切り上げて帰った。病院めでの往復はお天気の良い日は気持ちがいい。

  • 十一月二日(水)晴れのち曇り
     「こまど」に投稿した分、結局載せてもらえなかった。主人に喜んでもらおうと思っていたのに残念。

  • 十一月三日(木)
     三時頃、主人が仕事から帰って来て、散歩に連れて行ってたろかと言ってくれたので、嵐山の美空ひばり館に行きたいと言って連れれ言ってもらった。着いたのが五時ぐらいだったのですいていてゆっくり観て回れた。衣装や応接間はため息出る程素晴らしく、映画や歌等、あちこちのテレビで観られ、本当にすごい人だったんだなあと改めて感心した。

  • 十一月四日(金)曇り
     洋子に久し振りに、手紙を書いた。字がうまく書けないとか疲れるとか言っていたが、三枚書けた。自分に言い訳するのはやめよう、なんでもやってみなくちゃ始まらない。

  • 十一月五日(土)曇り
     希代子は会社から、六時過ぎに帰宅してから軽く夕食をすませて、菊香荘へバイトに行った。

  • 十一月六日(日)雨
     朝からずっと雨降りで、主人は珍しく一日家にゆっくりしていた。澤井の叔母様より、柿を沢山送ってくださった。

  • 十一月七日(月)晴れ
     おばあさん、話しかけてもかすかにうなずくだけで、目も開けずじっと寝たままで、今迄と少し様子が違うような感じがして、幸子姉さんに電話したら、亡くなった時の段取りをぼつぼつしておいた方がいいと言われた。私もなんとなくそんな予感がするが、後どれくらいもつかは、十日に先生のお話を聞いてみなければわからないし、心の準備だけはしておかねば。具体的なことは十日すんでから考えよう。

  • 十一月八日(火)晴れ
     おばあさん今日は、呼びかけたら目を開けて反応はあったが、相変わらず顔色も悪く元気がなかった。十日に先生の説明を聞くのが待ち遠しい、手術すんでから今迄、全然報告なしなのでどうしてこんな風になったのか検討がつかない。

  • 十一月九日(水)晴れ
     先週の金曜日に、洋子に手紙を書いてヘルパーさんに、出してもらうようたのんでおいたが、ヘルパーさんがすっかり忘れていて、今日出しましたと電話頂き、まあ急ぐ手紙でもないからかまいませんと言って、しばらくしてから洋子から電話があり、もう手紙が届いたのかとびっくりした。もちろん手紙は着いてないが偶然かかって来て、通じるものがあったのかなと、お互い感心した。明後日、休みがとれたから遊びに行って、私をどこらに連れて行って上げると言ってくれたが、おばあさんの状態がどうなるかわからないので、明日先生の話の結果しだいで、明日の晩に又、電話することにした。久し振りだから会いたいが、おばあさんのことを気にしながら出かける気にもならないし、落ち着かない。

  • 十一月十日(木)晴れ
     四時に病院に行って四十分程待たされて、やっと先生が来て下さった。ポリープは取れなかった事熱の出る原因をいろいろ調べているが、はっきりしたことはわからない、肺や脳腫瘍は問題ない。今、危ないという状態ではない。そういう状態になったら言いますとの事だったので、まあ一安心ということで、夜、洋子に電話したら明日昼頃行くとの事。

  • 十一月十一日(金)晴れ
     十一時半頃、洋子来てくれたので、タクシーで宝ヶ池へ行った。二十五年前の私達の、結婚披露宴にきてくれて以来なので。懐かしくもあり遠いけど行く事にしたが,紅葉はまだ半分ぐらいだったが、暖かくて風もなく良い天気で、きれいで楽しかった。宝ヶ池プリンスホテルで五目そばとコーヒーを御馳走になり、夕方六時過ぎ仕事場に行って、主人と三人でポルタの萬重で食事をして、洋子は八時頃の列車で帰った。私は昨年とは違ってとても元気そうで喜んでくれた。一年に一度しか会わなくても、たちまち姉妹のような感じで、何でも話せる。洋子は老人ホームで働くだけでも大変なのに、手話や介護福祉士の勉強もしているそうだ。朝はいつも五時頃起きて六時頃には、家を出るとかストレス解除の為、踊りを習ったり、カラオケ行ったりで毎日を忙しく生活していて、生き生きしている。

  • 十一月十二日(土)晴れ
     希代子は心象展へ、寿代は菊香荘へアルバイト。ライオンズの辻村さんより、さっま芋送って頂いた。

  • 十一月十三日(日)晴れ
     主人と病院へ行ったら、おばあさん目をあけていて「おおきに、御世話様」としっかりしゃべり、元気そうだった。主人が食事食べさせてくれたが、三口目ぐらいからは舌で押し出してしまい、ほとんど食べずお茶も飲みこまず出してしまった。でも主人はもっと弱っているとおもってたのか、今日は元気そうだったので、いい表情していると安心したようだ。帰り生協前のスパゲティの店でスパゲティ食べたが、量が多すぎて全部食べられなかった。それから松尾神社に行ったら七五三の親子連れが何組かいて、うちの子供達の時のことを思い出したり、未来の孫に思いを馳せたりした。鈴虫寺の方を通って帰って来たら、丁度正隆が来て私達と入れ違いに正隆も病院へ行って、おばあさんと話をしたらしい。

  • 十一月十五日(か)曇り
     昨日、城陽ライオンズの辻村さんより寺田芋を送って来て下さったので、今日漬物を送らせて頂いた。北風が冷たくヒヤッとしていたので、今年秋初めてストーブをつけた。

  • 十一月十六日(水)曇り
     四時に先生の説明を、聞きに行ったら熱はやはり腸から、強い乳酸菌と大腸菌のバランスがくずれたためと、薬の副作用によるもので、薬を替えたから熱は治まったということだった。これ以上良くなる事はなく命に別条はないがこのような状態が長く続くと思う。あまり長ければ病院を出て頂かねばならないかも知れないと言われた。そうなればなんとか家で看たいと思うが、帰ったら途端に急変が起きないか心配だが、色々な事心配してもきりがなく出来るだけの事をして、何か起こった時はあきらめるよりないと思う。その点お姉さんとお兄さんにも了承しておいてもらわなくては。それにしてもお兄さんとこからは、七月以来電話ないなあ。

  • 十一月十七日(木)曇り時々雨
     寿代が昨夕頃から、熱出して薬飲んで早く寝たが、今朝になっても七度九分あるとかで、本当は今日、永観堂幼稚園へ二十日・二十一日とある、もみじ祭りのお手伝いに行く予定だったのを御断りして、何も食べずに寝ていたが、二時頃やっと六度八分迄下がったらしい。

  • 十一月十八日(金)
     令子ちゃんに来てもらい西友へ買い物に連れて行ってもらった。主人のブリーフと靴下、私のパジャマとハイソックスを買い、令子ちゃんにブラウス買ってあげた。出たら雨がふ降っていて傘差しながら車椅子押してくれたので、あっち行きこっち行きして帰った。牧野さんは最近身体の調子はいいみたい。仕事は毎日行ってるけど、あまり役に立ってそうもないらしいが、あれだけの大病してそこ迄回復した事を感謝しなきゃ。

  • 十一月十九日(土)曇り
     寿代は風邪の方、もう一つはっきりしないが、永観堂幼稚園のお手伝い昨夜も遅く迄して、今朝も早く出かけた。

  • 十一月二十日(日)曇り
     澤井の叔父様の七回忌に、主人は電車で行くと言っていたが、昨夜帰って来るのが遅かったので、朝早く出られず車で行った。寿代は七時前に幼稚園の先生の車で出かけた。希代子は昼から、建仁寺の書道展へ行って、永観堂から南禅寺の方を回っていったん帰ってから、お友達の結婚の二次会へ行った。寿代と主人は、六時半頃帰って来た。御供養に電気毛布や海苔等頂き、隆康さんからはお米を頂き車で行ってよかった。

  • 十一月二十一日(月)
     寿代は今日も学校終わってから、幼稚園へ手伝いに行き、その後、食事会があり十一時頃帰って来た。

  • 十一月二十三日(水)晴れ
     主人は、婦美子叔母様の十三回忌にお参りして、帰りに美智子叔母様の家に寄って御馳走になって夜九時頃、喜治さんに車で家迄送って頂いた。お酒だいぶ頂いたらしく、酔ってフラフラだった。

  • 十一月二十四日(木)晴れ
     寿代が一昨日、西友の駐車場で車に当たり、先方の車はなんともなかったが、うちの車のドアがへこんだと云うので、光山さんに保険がきくか聞いたら自損の場合はつかないとも事、自動車屋さんに電話して取りに来てもらったら、先日、希代子が狭い道ですった所の修理を合わせると十四・五万かかるそうだ。寿代は歯を矯正したいと云うし、年末控えて出費の多い事、まあお陰様で預金があるからなんとかなるが、無駄使いしないよう気をつけなければ、お父さんに申し訳ない。子供達もお金に不自由したことがないから。自覚が足りない。母親の私の責任かな。

  • 十一月二十五日(金)晴れ
     五木寛之の「生きるヒント」と云う小説を読んだ。悲しむこと、笑うこと、喋ることは、とても重要なことで、生まれた瞬間から死に向かって生きている。生きていくということはそれだけで、価値のあることだと云う様な内容だった。おばあさんの様に何の気力もなく只ベッドで寝ていて、点滴で命をつないでいても生きていることには違いない。それでも価値があるとすれば、おばあさんの命を通して人生とは死とは何かと、問いかけていることだろうか。寿命が来る迄死ぬことは出来ない。やはりそれ迄は頑張って生きていくしかない。

  • 十一月二十六日(土)晴れ
     寿代は幼稚園のお手伝い。希代子は夕方より英会話。主人は松井さんの、お父さんの三逮夜に出かけた。

  • 十一月二十七日(日)曇り
     希代子は神戸行き。寿代は昼から大阪行き。主人はテニスの忘年会。主人は最近飲む機会が多く心配だが、最近太った今迄の服が窮屈になって来た。今迄服が窮屈になったことは、一度もないので喜んでいいのか、心配するべきなのかわからない。

  • 十一月二十八日(月)晴れ
     稔さんが来年一月に、お寺さん方とインドへ旅行するので戸籍謄本をもらって来て欲しいと言われたので本籍地を上桂に移したいと思っていると言ったら、醒ヶ井という地に愛着があるから、そのままにして欲しいと言われた。やはり生まれ育った所、京都の中心部、歴史に残る地ということは誇りのようだ。子供達もそう言われれば、醒ヶ井という土地には愛着があるそうだ。生まれ育ってない私は、結婚して二十年近く澄んだ土地であり乍ら、あまり愛着がない。ここの上桂の方が好きで離れたくない。

  • 十一月二十九日(火)晴れ時々曇り
     短歌の通信教育を又、申し込もうかどうか迷っている。今だにいい短歌が作れず申し込みをしても無駄になるような気がしたり、期日迄につくらねばという切迫感で何とか作れるのなら、続けていく上ではいいのかもとも思ったり、月謝を無駄にするのは勿体ないし、無駄にしない様頑張ればいいんだけど、どうしょう。

  • 十一月三十日(水)晴れ
     お昼頃、保木さんがお墓参りに行かれる時、寄って下さった。パーマをあてて顔もふっくらして若返ったようだった。おじいさんが、私が夏入院した時の事を俳句に書いて特選になられたとか、今度書いたものを持って着るからと言われた。お菓子を頂き、さつま芋とすりごまを持って帰って頂いた。

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  • 十二月一日(木)
     おばあさん今日はずっと目をひらけていて食事も2/10程食べられた。最近割と暖かく楽だ。

  • 十二月二日(金)曇り
     リハビリセンターで診察して頂き、お尻診て頂いたら傷はきれいだし、心配ないとの事、膝のレントゲンも取って頂いたが、人口関節にゆるみはないしなぜ痛いかという原因はよくわからないらしい。只、骨は弱いしゆるんでくる可能性はあるらしいので、骨を丈夫にするお薬をふやして頂いた。手の骨折した所は痛いと言っても、手術以外に治しようがないのだからと言わなかったが、動かすと圧迫するような痛みがあるし診てもらえば良かった。夜、主人が川島さんに寿代の歯の治療のことを聞いたら、手術はあまりいい方法とも思えないし、一度うちで診て上げようと言って下さったそうなので、月曜日でも診て頂ける様主人が、川島さんに電話してくれたが、寿代は治療をもう他ではじめているから、そこでしたいようなことを言ったので、主人は折角寿代によかれと思い、川島さんに相談したりお金も用意したのにと、気分を損ねてしまった。他に治療に行く前にお父さんに、相談するよう何度も言ったのに、どんどん話を進めてしまい、また私も黙認してしまったのは悪かった。

  • 十二月三日(土)曇り
    昨夜の事、寿代は悪いと思ったのか主人に謝罪の手紙を書いて、テーブルの上に置いておいたようだ。主人は何も言わなかったが納得したのだろう。黒井の叔母様と洋子から、おうどん送ってもらって有難うと電話頂いた。カト吉の冷凍うどんがおいしかったので、御礼のつもりで送らせてもらった。

  • 十二月四日(日)曇り
    主人はテニスに行って夕方帰って来たが、又、お酒飲み過ぎたのかフラフラで下痢したのかトイレばかり行き、トイレで寝たりして皆のひんしゅくをかっていた。希代子は正隆と一緒に大丸に行き。十日の商工青年会の懇親会に着て行く、正隆の服を選んでもらった。政子叔母様に色々頂いた御礼に、カーディガンを買って送ってもらった。

  • 十二月五日(月)晴れ時々曇り
    寿代は川島歯科へ行って診てもらい、全部直す必要はないしもっと将来のことを考えて、堅実な方法をとった方がいいと云うアドバイスを受け、夕方、主人にも電話頂き詳しく説明してくださったので、この際今迄、行っていた所をやめて川島歯科でお世話になる様主人も私も言ったが、寿代は山口先生に申し訳ないと、返事を渋っていたが私がちゃんと断って上げるから、川島さん所の方が安心だからと説得して、ようやく川島さんに行くことを決心した。最初に相談しなかったばかりに、回りくどいかとになってほんとに後悔する。

  • 十二月六日(火)曇り朝
    山口歯科に主人が猛反対してるので申し訳ないが、やめさせて頂きたいと言ったら、神経抜いた歯はいずれ色が変わるから、セラミックか何かかぶせないといけないとは言われたが、怒らないで承知して下さったので安心した。それから寿代が川島さんにお願いの電話をして早速治療に行って、八重歯を一本削ってプラスチックをかぶせてもらって来た。主人もそれを聞いて安心したようだ。夜、梶田さんから電話があり明日、象山先生に会いに行って入門のお願いをするからと、希代子に言われたそうだ。希代子からも先生にお願いしてあったのでよかった。

  • 十二月八日(木)晴れ
     今日は風もなく、陽がさして暖かかった。おばあさん今日は、少し笑ったりして元気そうだった。

  • 十二月九日(金)雨
     朝から久し振りの雨降りだった。今日は生協のへルパーさんに来て頂き、流しの下や庭のお掃除をして頂いた。正隆が明日、商工青年会の研修会と懇親会に出席するので先日、希代子と一緒にジャケットとズボンを買いに行って、直しをしてもらい今日寿代が、取りに行ってくれたので夜正隆に着てもらったら、馬子にも衣装でなかなかカッコ良くなって、寿代に写真を撮ってもらった。今日は希代子も正隆もボーナスが出て、希代子は小浜の方へ会社の慰安旅行へ行って明日、三時か四時頃帰るらしい。

  • 十二月十日(土)曇り
     三時半頃、希代子が帰って来て御土産に、カニと甘海老ととろろ昆布を買って来てくれた。夕方英会話に行ったので、主人とお寿司取って食べた。

  • 十二月十一日(日)雨
     今日は一日中雨降り。主人は仕事、希代子は習字の稽古、寿代はスケート。私はぼつぼつ年賀状書こうと思うが、筆ペンのいいのがなく書けない。何かしようと思っても材料がなく、買って来てもらうのはいつのことか、あてに出来ずはがゆい。

  • 十二月十二日(月)晴れのち曇り
     おばあさん、今日は割りと食欲もあり、笑ったり、少しだが結構しっかりしゃべったりして、顔色も良かった。

  • 十二月十三日(火)曇り時々雨
     昼から、十六日のライオンズ忘年会に着て行く服を買いに、寿代に大丸に連れて行ってもらい、ケープとカーディガンとパンツを買った。ケープは七階で買ったので安かったが、カーディガンとパンツは二万以上もして、私としてはこんな高い買物は初めてだったが、たまにしか買わないので許して頂こう。

  • 十二月十四日(水)曇り
     桂川福祉協議会の桂川ひまわりの会から、おばあさん先日の食事会に、欠席だったので代わりにお花をどうぞと、植木鉢を頂いた、こういう会がある事を知らなかった。
     
  • 十二月十五日(木)晴れ
    十三日の夜七時頃、和子ちゃん女の子を出産されたそうだ。母子共元気で何より。寿代が帰ってから、イマージュさんへ連れて行ってもらい、カットとパーマをしてもらった。

  • -十二月十六日(金)曇り時々雪
     初雪が振り寒かった。夕方、おしゃれしてライオンズの忘年会に行った。一番前の真中の席で、子供さん達と同じ席で気を使わず、主人も今年は役がないのでゆっくり座って、私もお腹一杯食べさせてもらい楽しかった。川島さん達との二次会では主人は又大きな声でしゃべって御機嫌だった。 

  • 十二月十八日(日)晴れのち曇り
     めずらしく主人は、一日家にいて年賀状の宛名書きをしてくれた。私も私の知人、友人に猫の絵を描いて出すことにした。

  • 十二月十九日(月)晴れ
     おばあさん一週間程前から、元気になって来て随分話もするようになり、笑顔も出て来た。食欲も少し出て来たようだ。先週の木曜から四階に移り、明るくて看護助手さんも優しそうな人で良かった。

  • 十二月二十日(火)晴れ
     病院の看護詰所に、三千円程のお菓子買ってお渡しした。お正月迄、後十日程しかないが年賀状書いてるぐらいで何もしていない。何しろ、希代子と寿代が休みになってくれない事には、何も出来ず情けないこと。

  • 十二月二十一日(水)曇り
     千草さんよりお電話頂き、御実家のお父上の看病に行っていたり、田畠の御母上を一ヵ月程預かったりしていたので、なかなか御見舞にもいけなくてと仰言っていた。辻のすま子さんも、ご無沙汰しているがお元気かしら。

  • 十二月二十二日(木)晴れ
     今日はお天気も良く暖かかった。冬至で今日が一番陽が短いから、これから少しづつ長くなるし嬉しい。

  • 十二月二十三日(金)晴れ
     正勝兄さんから、御歳暮送って来て下さった。定例の五万とお茶漬ふりかけの他に、ワコールの下着等が入っていたが、妹さんのお古のセーターは拡げて見たら、色がはげていてとても着られそうな物ではなかった。御礼の電話したらお兄さんが出られて、おばあさんまだ入院中だと言ったら驚いておられた。とうに退院して元気にしていると思っておられたようだ。

  • 十二月二十四日(土)晴れ
     今朝、園子姉さんからお電話頂き、昨晩おうどん届いたそうだ。昼からは、幸子姉さんよりおうどん届いたと電話頂いた。和子ちゃんお乳が出ないからよく肥えてと言っておられた。赤ちゃんの名前は美帆ちゃんと命名されたそうだ。主人はテニスの忘年会とかで六時半頃出かけ、正隆は食事してすぐ帰り。希代子は八時半頃友人宅へ行き、私一人でテレビ見て過ごしたが、ときめき夢サウンドでシセルさんの歌を、たっぷり聴けて満喫した。

  • 十二月二十五日(日)曇り
     昨夜、主人忘年会から帰って来たら、墨で顔が真っ黒でびっくりした。皆さん家から仮装して来られたらしい。女装して皆さんと仮装比べをしたり、色々興に乗って楽しかったようだ。希代子と寿代は、やっと家にいて年賀状を書き始めた。夜長電話したりして、ちっともはかどらない。

  • 十二月二十六日(月)晴れのち曇り
     寿代にバイトは、もう入れないようにと言ってたのに、今日最後だからと行ってしまい、いつになったら年賀状書けるやら、お正月の準備も色々あるのに、何一つ片付いておないし、ぎりぎりになってあれもこれもと、忙しくなるのは目に見えているのに。

  • 十二月二十七日(火)曇り
     希代子が会社で、日本生命の保険に入ったと言っていたが、満期金がもらえるのと違うし、保険は結婚してから入ってもいいのだから、断った方がいいと昨日、私から断りたいと電話したが、もう書類は本社へ送ってあるから断れない、説明しに明日お宅へ伺うと言われ、昼過ぎ来られ色々説明聞いた結果、断れない状況で十年毎にお金がもらえる保険をたのんだ。説明が回りくどく、トイレに行きたくなってもうイライラして来たので、早く決めてしまいたく妥協してしまった。帰られてからトイレへ飛び込んだが間に会わず、折角お風呂入れてもらってきれいになったのに、ビショビショになってしまい腹が立つ、トイレも今日きれいに、お掃除してもらったばかりなのに、床を濡らしてしまった。アー情けない。バカヤロー。

  • 十二月二十九日(木)晴れのち曇り
     寿代は、夕方やっと年賀状仕上げ、それから寿代と台所の整理や掃除を始めて、夜中迄かかった。毎年のことながら、私は何も手伝えず、する事は山積みで、娘達に悪いと思い乍ら、イライラして見ている。

  • 十二月三十日(金)曇り
     希代子は、お風呂の掃除を長いことかかってやり、寿代は洗濯を沢山してから二人で買物に行き、晩御飯済んでから、台所や換気扇の掃除等で、夜中遅く迄かかつていた。
     
  • 十二月三十一日(土)
     昼頃やっと正隆が帰って来たので、おみがきしてもらい、私も仕上げを少し手伝いきれいになった。御仏壇の掃除をしてもらって、御鏡さんを工場へ持って行ってもらった。主人は、錦でお魚を買って来てくれたが、男の人はどうしても買い過ぎてしまうようで、タコばかり沢山あって食べ切れるかしら。希代子は、自分の部屋の整理してから、お節作りをしてくれた。寿代は、部屋中を掃除してやっと十二時頃終わった。皆の御蔭で無事一年を終え、新しい年を迎えることが出来て本当にありがたい。

  • 六年に詠んだ歌(1994年

    ジャンプ スキー リレハンメルの 青空より 極楽鳥が 舞い降りるよう
     
    我が身体 人口関節 四箇所あり  骨盤重しを 笑い会うなり

    我が子との 出来ぬ身となり 若くして  老いの寂しさ わかりつつあり

    姑見舞う この道すがら 避けるし陽も  心地良くなり 九月を過ぎし

    ほうじ茶の 香りに誘われ 茶屋の前  心呼吸して しばし停ずむ

    売りし家 父子二代の 柱傷 今も残るか 他人に見られ

    売りし家 たまに通らば 変わりなくも 他人の家と 見ぬふりをする
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