旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
容子経歴容子日常生活容子日記
  昭和六十二年  7月〜9月 11月〜12月
  昭和六十三年  1月〜3月    
  平成二年 5月〜12月     
  平成三年 1月〜12月     
  平成四年 1月〜12月     
  平成五年 1月〜3月  4月〜6月 7月〜9月  10月〜12月 
  平成六年 1月〜3月  4月〜6月 7月〜9月 10月〜12月 
  平成七年 1月〜3月  4月〜5月    
  平成八年 4月〜5月    
  平成十三年 2月〜4月    
  平成十六年 10月〜12月    
  平成十七年 1月〜12月     
  平成十八年 1月〜9月
  容子の死の前後を振り返って
【日記の原本】
  平成十三年〜平成十八年
  • 平成十八年 (二〇〇六年)一月十二日
    容子退院。今年は年末年始大変だったので、お正月は無かったも同じ、しかし今回の入院中は主人も息子も頑張ってくれて、主人はカレーやおでんを作り息子は、山ほどの洗濯をしたり私に夕食を食べさせてくれて、ありがたいと思っている。

  • 一月十六日
    土曜日の晩から又、熱が出て日曜日は一日ベッドで安静にしていたら、熱は下がったが、食欲はなく元気が出ない。退院して十日程してやっと体調が戻ってきた。一弘さんのお父さんは、気管切開して声も出せず食事も管で流すだけで、どんなにか辛い思いをなさっている事かと思うが、どうしてあげることも出来ない。新潟も、毎日大雪で皆大変な生活をしていると思うが、雪国の人はそんな中でも普通に出勤し、学校も保育園へも行って偉いなあと思う。孫達は、最近風邪もひかず元気にしているとの事なにより、早く雪がとけて普通の生活ができますように。小山たみさん、昨年六月に突然倒れ意識不明のまま年末に、亡くなられたとの葉書が娘さんより届いた。お花(一万円)お花屋さんより届けてもらう。

  • 二月七日
    大久保紘一郎様(明子さんのご主人)のお通夜に、主人お参りする。御香典・御花無し

  • 二月八日
    四日に、急に起きた腰痛の為、リハビリセンターでレントゲン、診てもらった処特に異常なく骨は、もろくなっているとの事。拓ちゃんの入学祝、三万送る。

    雪国で 日常生活 おくる人  わずかの雪で 騒ぐ街人

    入院中 夫が料理に 初挑戦  息子が持ちし カレーの旨さ

    雲の無き 空見上ぐれば 吾もきょう  雲一つ無き 心晴々

    このままで 終えてもよきか 子の他に  生きし証を 遺さぬままに

    ふと目覚め まだ三時なり 暗闇に 静かに聞こゆ 酸素吸入器

  • 三月二十八日
    拓ちゃん、入学式お天気良かったらしい。明日より給食始まる。

    新入生 十四人の 学校へ  早朝出づる 新潟の孫

    毎年を 見納めかと でるを  幾度逢える春 止む我は

    久々に 花祭りにて 経唱え  法話を聴きて 父を恋ゆ

    投票を 終え駅堤の 花仰ぐ  行く春や 川のせせらぎ 急ぐなかれ

  • 四月九日
    正林寺様の花祭りに、主人に連れて行ってもらう、田畠さんと御一緒する。桜・木蓮・ボケ・レンギョウ・雪柳等、美しかった。

  • 四月十三日
    君子叔母さんより、寿代へ新築祝いの一万円と手作りの日本人形頂く。

  • 四月三十日
    寿代宅へ行き、お義父さんの入院している病院へ行く。やせておられたが顔色はよかった。プリンとゼリーをお見舞いにさせてもらった。

  • 五月三日
    寿代夫婦と植物園へ行き駐車場に止められず、主人は一旦家に帰って又迎えに来てくれた。思った程花は咲いていなかったが、新緑の木陰が気持ち良かった。

    巣作りに励むツバメの 声高し

    新入生 十四人の 学校へ  通いし孫の無事を祈らんむ

    声出せず 言葉話せぬ 障害者  話せる我の言動如何に

    週三日 雨降り続く 今皐月  不作の年を 思い起こせり

    衣替 部屋の設え 消え逝きし

    紫陽花を 井戸端にして 花談義

  • 六月十五日
    依生ちゃん、四才の誕生日 生協で絵本とお菓子、くりやで若鮎かって贈る。

  • 六月十六日
    正隆、三十四才の誕生日

    ページの最初へ


  • 七月二日
    黒井の、杉本 喜八郎叔父様の十七回忌。 お供 二万円。

  • 七月九日
    田畠様、法事お供一万円と菓子。六月末頃から、背中にあせもが出来て痛い痛いと思っていたが、胸にも湿疹が出来て来たのでヘルぺスではと思い、訪看さんに診てもらい梶並先生に往診して頂いたら、案のヘルペスと言われ飲薬と塗薬を頂いたが、三日程はやけどの上に針をさしている様な激痛で苦しんだ、七月十日頃からやっと痛みが和らいできた。千葉のおにいちゃんから、マンゴー四つ送って来たので末永さんにおすそ分けした。今回の、ヘルペスは直りが悪くいつまでも痛いし、背中の湿疹も貼れてきてるとは云うものの、いつまでもじくじくしている。孫達の来る八月迄には完治したい。

  • 七月二十一日
    君子叔母さんが、イカや・むつの焼いたのをも持って来て下った。イカは、寿代と一緒にさばいてお造り用に開いて下さり、寿代のところにも分けて下さった。寿代が帰る時に君子叔母さんに黒井で頂いた冷酒二本と、岩本さんから頂いた火鉢のような陶器を、持って帰って頂き菊香荘迄送る。

    ヘルペスの 痛み治れと 流しおり  モーツアルトの 曲耳に入らず

  • 八月四日
    待ちわびていた、孫達が来てくれた。みんなそれぞれ大きくなって、しっかりしてきた。拓と依生は、じいちゃんと花火買いに行ってオモチャも買ってもらう。

  • 八月五日
    希代子は、拓と依生を連れてユニクロへ買物に行った。佳音が、五時過ぎ目を覚ましたがみんなが帰る迄泣かずに、おとなしく待っていた。

  • 八月六日
    三十八度もある猛暑だったが、寿代夫婦も一緒に動物園に行った。動物達も暑さで、元気がなさそうだったがサル達は、プールに飛び込んだりして元気そうだった。孫達は、電車や観覧車・遊具で楽しんだみたい、暑いので早めに帰った。夕食はじいちゃんお得意のお好み焼きにしたら、みんなおいしいと大好評だった。

  • 八月七日
    外池さんが来て下さったが、孫達がうるさいとゆっくり話も出来なかったみたい。拓は、毎晩私のベッドでの下に布団しいて、お話してあげたら十時頃には寝て朝七時頃起きるが、佳音はなかなか寝ないし夜中も起きるし、希代子がベビーカー押して町内散歩して、寝さしているらしいが、毎晩なので希代子の身体が心配。

  • 八月八日
    朝十時半頃から希代子は、三人の子を連れてお墓参りと映画に出かけたが、夕方六時になっても帰らず心配して待っていたら、案外ケロリとして帰って来たのでやれやれでもよく三人も連れて、こんな時間迄、めんどうみられたものだと、希代子のタフさに脱帽。

  • 八月九日
    寿代が仕事休んで迎えに来てくれて、午後から希代子一家は寿代宅へ泊まりに行ったので一晩中休み。

  • 八月十日
    夕方寿代宅から帰宅、大津で室内遊技場で遊んだらしい。君子叔母さんから頂いた上等のお肉ですき焼きした。一弘さんも七時半頃、会社の帰りに寄ってくれて一緒に食事出来てよかった。最後の夜なので依生も下で私のお話を聞き乍寝た。

  • 八月十一日
    帰る荷造りをしている時、君子叔母さんが来て下さり色々手伝って下さった。バタバタと昼前、じいちゃんに車に乗せてもらい元気で帰って行った。夜七時頃、電話あり五時半頃無事着いたとの事やれやれ。待っている間は長いけど来たらあっというま、返ってしまうと途端に静かで淋しいけどお互い一週間が限度、又一年後を楽しみに元気でいなくては。十一月に書道展があるので、希代子と佳音に、又、逢えるのが楽しみ。

  • 八月十四日
    お盆休みに、お父さんは口と鼻から大出血して、西京都病院へ行ったが一時間半程してケロッとして帰ってきて鼻の鼓膜に傷がいった為らしい、一応脳のレントゲン写真を撮ってもらって北村内科で診てもらうようにとの事、私も、主人の咳がうつったのか咳こんだようになった。孫達が帰った後でよかった。

  • 八月二十九日
    咳が長引いて体力が弱り何もする気にならなかったが、ようやく咳の出る回数も減少し元気が出てやっと、日記を書く気になってきた。今夏は、ヘルぺスと咳で辛い夏だったが、孫のいる間は元気でいられてよかった。

  • 九月
    九月に入って涼しくなって来たら今度は、夜中に急に寒気がして上げ下して、夜中、主人に便器を当ててもらったりした。朝、七度八分熱があったが、昼から往診してもらい抗生剤やむかつき止薬等、飲んで熱は下がったが、三日程食欲もなく元気がなかったがその後回復した。十八日は、さくらのガイドヘルパーさん利用してダイヤモンドシティへ、買い物にいった。初めてなので、令子ちゃんも一緒だった。拓心に日本地図のパズルと、佳音におままごとのようなおもちゃを、バースディプレゼントにかった。依生がひがむといけないので粘土を買い、翌日、ヘルパーさんに荷造りしてもらいおくったら、着いたよ「ありがとう」と電話してきた。

    関白は 関白として 介護する  まいいかと 我慢する妻

    ハイビジョンの 百景の色 本物を 超えたる凄さ カメラマン魂

    虫の音も 蛙の声も 聞けぬ町  子等の閑静 戻り来し今

    植え替えて 腰を伸ばせば 鰯雲

    花買いに 坂を上がれば 鰯雲

    満月と 一緒に歩き 帰宅する

    肌寒し ぬるま湯に 浸かる夢を見る

    今年も、もうすぐ暮れようとしています。昨年十二月にリハビリセンターで、指の手術をし痛い治療を二ヶ月程して、やっと退院のめどが立った途端、急性肺炎になった時は、寿代の赤ちゃん見られないかもと不安になったが、市立病院へ行ってから三週間程で退院することが出来た。しかしその後、頚椎のせいで手のしびれとがきつくなり、車椅子に座っていられなくなりベッドで寝たつきりの生活になった。そのうち胃腸の具合が悪くなり、上げ下げを繰り返すようになり西京都病院へ入院、リハビリセンターに入院した頃から、具合が悪くなる度に薬が増えて、薬の飲み過ぎではないかと福永先生におたずねしたら、先生もそうかもしれないから薬を減らして見ようと云う事で、二週間、今までの半分以下の量で様子をみた処、身体の調子がどんどん良くなって退院、しかしまだ本調子迄は戻らず。

    十月には、風邪で一週間入院。その後、骨盤が痛くて起き上がれなくなり、毎朝主人に痛み止の座薬を入れてもらい、なんとか三週間で治まった。」

    以上が、左手で書き残した日記と歌です
ページの最初へ
  昭和六十二年  7月〜9月 11月〜12月
  昭和六十三年  1月〜3月    
  平成二年 5月〜12月     
  平成三年 1月〜12月     
  平成四年 1月〜12月     
  平成五年 1月〜3月  4月〜6月 7月〜9月  10月〜12月 
  平成六年 1月〜3月  4月〜6月 7月〜9月 10月〜12月 
  平成七年 1月〜3月  4月〜5月    
  平成八年 4月〜5月    
  平成十三年 2月〜4月    
  平成十六年 10月〜12月    
  平成十七年 1月〜12月     
  平成十八年 1月〜9月
  容子の死の前後を振り返って