旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
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平成21年(2009)11月4日(水)
朝日新聞 週刊情報紙 「あいあい AT 京都
亡き妻の詩や言葉題材に 娘が書いた墨書作品展示
  南区で神仏具製作所を営む米澤正文さん(66)がギャラリー&ワークショップサロン覚正庵を開き、亡き妻が詠んだ詩や言葉を題材にして娘が書いた墨書作品を展示している。
ホームページには代々受け継いでいる神仏具工芸のことや家族の思い出、妻の介護生活についても紹介しており、「多くの人に情報を発信し、交流の場にしたい」と話す。覚正庵は会社の1階を改装し、9月にオープンした。初の展示は、米澤さんの長女で書家の富所白象さんによる書作展「だいじょうぶ だいじょうぶ」。長年療養生活を送り、昨年3月に亡くなった母、容子さんがよく家族を元気づけていた言葉を表情豊かに表現している。
 容子さんは76年にリウマチを発症して療養生活に入り、家族は懸命に支えた。入退院を繰り返す中でも笑顔で前向きな容子さんの周りには絶えず人が集まった。朗読ボランティアや詩を作るなどできることを見つけては取り組んでいた。亡くなってから半年ほどたった昨夏、米澤さんは自宅の棚から容子さんが書いた日記を発見した。文庫本ほどの大きさのノートが5冊。最初のページは87年7月3日「容子入院」、初めて長期入院した日だった。
06年まで続いていた日記には、手術のことや症状、そして何より家族について書かれた日が多い。98年以後は右手のまひがひどくなり左手で書かれているが、書く意欲は衰えず、「左手で上手に書けるようになった」と記された日もあった。
 米澤さんは読むうちに介護されていた妻の気持ちを知り、「もっとこうしていれば」と反省の思いも生まれたという。そして、日記を何らかの形で生かせないかと、慣れない手つきでパソコンに打ち始めた。「文字を打てば打つほど、妻の気持ちを受け取れる気がしました」。03年に作ったホームページに日記のコーナーを加え、少しずつ掲載している。「介護の制度をどう活用したか、介護される人、する人の気持ちなど参考になればうれしい」
 そして、覚正庵では富所さんが書いた容子さんのことばや詩を紹介、日記も展示している。「人に囲まれていた妻だから、多くの人に活用してもらえるようなサロンになったらと思います」と、人々が集まる和みの場を目指している。
 南区東九条西明田町34−7(075−681-6781)。木〜日曜、祝日開館。正午〜午後5時。小川貴史さんの彫刻展「木の足跡」も開催中。日曜は自家焙煎コーヒーのカフェも開いている。           
(担当記者 柏木 真輝)
平成21年(2009)11月5日(木)
 
[ 人生JournaT ]  中 外 日 報       (担当記者 高橋 知行)
 
創 思 創 愛   物づくりの現場から  (有)覚正庵
伝統技法の継承めざしギャラリー、オープン
  京都で神仏具の木地製作を4代にわたり営む(有)米澤神仏具製作所は、さきごろ社名を「覚正庵」に改称。工房1階を全面改装し、木工作品や書画を展示したギャラリーを9月にオープンした。ギャラリーは京仏具の伝統工芸士である米澤正文代表の「伝統技術の継承・発展」の思いを具現化したものであると同時に、昨年3月に他界した妻・容子さんとの歩みを伝える場でもある。
 同社のルーツは石川県で何代も続く宮大工。信心のなせる業か、明治5年に東本願寺御影堂再建工事で大工として働くため、京都に移り住む。
 米澤氏は昭和60年に4代目として家業を継承。木地師として有名寺社の仕事を手掛け、工房は平成元年、京都府から「京の老舗表彰」をうけた。大谷派の地域門徒会の役員を務めるなど篤信の門徒であり、新社名・覚正庵は父の法名からとった。
  容子さんは大谷派僧侶の家に生まれた。京都の同派寺院の道場で正文氏と出会い、昭和44年に結婚。しかし7年後にリウマチを発症。手術を繰り返すも病状は悪化し、車椅子の生活を余儀なくされた。
 遺品から日記が5冊見つかった。病状や家族への思いを記した内容で、心境を率直に表現した詩もあった。日記の文字は日を追うごとに文字の識別が難しくなっている。病のため腕の自由が利かなくなったからで、読み終えた米澤氏は日記に突き動かされたという。
 「伝統の技法を守り伝えるためには、変わらなくてはならない。不景気の時こそ本物か試される時代。挑戦し続けることが大切だ」。そして工房の改装を決意した。伝統の木工技術を活かした製品の開発に着手。試作品が数種完成した。最後の仕上げがギャラリー開設だった。
 
ギャラリーには宮殿や神輿、木工製品の試作品、木彫作家・職人仲間の作品などを展示した。中央には、娘で書家の富所白象さんが揮毫した容子さんの詩をパネル展示。詩には生きる喜びや家族への感謝の気持ちがあふれている。
 「子供には、伝統の技とこの工房を残すことができました」
 米澤氏は、自らを奮起させた妻の詩を見ながら笑みを浮かべた。伝統の技法を全国に発信できればと期待している。ギャラリーは入場無料。木〜日曜・祝日の正午〜午後5時に開館。
住所=京都市南区東九条西明田町34−7、電話=075−681-6781 
平成21年(2009)12月25日
発行所 : 京都学生祭典実行委員会・京都学生祭典事務局
こ し
  京都学生祭典のシンボルとして、第5回祭典で生まれた「京炎みこし」。この祭典オリジナルの創作みこしは、西陣織や漆塗り、和紙など、京都の伝統工芸を活かした装飾が施されている本格的なもの。これは、祭典の実行委員が、地元・地域の職人の指導を受けて自ら手作りした。また、みこしに飾られた提灯は光るようになっており、このアイディアは日本で初めてのものである。
祭典の舞台である京都各地域の安寧への想いと、「祭典が地域に根づいて、いつまでも受け継がれる伝統ある祭りになりますように」という願いをこめて、学生の担ぎ手が「わっしょい」のかけ声とともに、パレードを元気よく盛り上げる。
京の伝統と、新しい発想で生み出す
最初に学生が持って来てくれた奇抜なデザインのスケッチを見て「これなら!」とアイディアが涌いてきました。提灯のなかに電気を付けることを提案し、コードが外から見えないよう工夫も施しました。装飾のデザインは毎年変えられるよう、ネジで取り外しできるようになっています。最初、学生さんがいきなり仕事場に訪ねて来た時は驚きましたが、意気込みのある若い学生さんの輪に、私たち京都の職人も入れてもらい、一緒にみこし創りができるのはとても嬉しいことです。
彼らは京都の伝統産業のいいところを取り入れています。いずれ卒業して京都を離れることになっても、京都のよいものを伝えてくれることを期待しています。
(みこし全体製作に協力 有限会社覚正庵(旧米澤神仏具製作所)さんからのコメント)
 
 
 
     
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