旧社名 (有)米澤神仏具製作所  
     
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昭和52年1月27日 朝日新聞
 
 
   
   京のあきない 伝統産業界にも動き協業化


   150回超す話し合い
 
  「一人親方」を意識

   売上約2倍

   必要な「温かい目」

 
   
 
昭和52年5月9日 京都新聞
 
     京都伝統産業成年会 会長に内定した  米澤 正文氏  
          「もの」を通じ連帯感を  
   
     ―まず青年会の六代目会長に選ばれた感想から。技術職の工部の分野ではあなたで確か、2人目のはずだがー。
 米澤 正式には今月末の総会できまるわけですが、始め協議会(青年会加盟34団体の代表者会議)の席上、私に声がかかったときは、正直なところ私自信、お金もひまもないし、ええところのボンでもないしと、ちゅうちょしたんです。
 
 
しかし、二名さんのお勧めもあるし、青年会は商部の人も入っておれば、私のように工部の職方もはいっている。加盟団体も大小いろいろだが、青年会ではみんな対等なんですね。だから、会長もエリートばかりでなく、一度私がひきうけたら、また次にいろんな方がなりやすいんじゃないか。そんなことも考えてよし、やったろ、と決心したんです。
 ―青年会にはあなたの所属する仏具のほか、染、織、陶磁器、人形、扇子、金工、木竹など京都の伝統産業の各青年会がほとんど加入していますが。そこで会員1500人を1本にまとめて運営するとなると、なかなか大変な仕事だと思いますが、まず何から手をつけられますか。
 
     米澤 青年会には十三年の歴史があります。

―ぶしつけな質問だけど、京都伝統産業青年会とは一体、何なんでしょう?
   米澤 会員はみなあと10年から15年もすると、各業界の第一線に立つ人なんです。そこへ到達するまでの人間練成場やと、私は思います。商人でも職方でも自分の仕事だけに閉じ込もっていたら、井の中のかわずですわ。ところが、青年会には先にもいいましたように、いろんな業界の、又立場の違った人が参加していて、研修会や懇談会などを通じて、見聞が広まるし相手の立場も理解出来るようになる。私自身、青年会に入った事で、これまでずいぶんと勉強させてもらいましたから。

―伝統産業界には、染色には染色の、織物には織物の悩みがあるのと同時に、たとえば後継者確保など各業界共通の大きな悩みもあるのではー。
   米澤 たしかにその通りです。しかし、私達青年会の人間は後継者の問題をゴタゴタいうよりも、まず自らが後継者になることが先やないでしょうか。たとえば工部の人間なら自分の腕をみがき、先輩の技術をしっかりと継承する。そうして青年会の活動を通して視野を広め、人間的なふくらみがついてくれば、後からついてくる人も自然、見習うようになる、思いますねえ。

―最後に、伝統産業の今後の在り方について、あなたのご意見を
   米澤 大きな問題ですが、私は世間で思われるほど伝統産業の将来をそう悲観していないです。いまは不況でわるいけど、これは何も伝統産業だけに限った話やないですしね。私達の作っているものはたしかになくなると絶対に困るというもんじゃないですが、日本人の生活をうるおすという点でどうでしょう。ただし、京都の伝統産業の将来となると、話は多少違います。他産地の追い上げが厳しいから、私達もうかうかとはしておれない。これからの生き方としては、従来通り高級品ばかりをねらうのではなくて、安い価格、量産で勝負してくる他産地に対して、京都では価格的に中間層のニーズをしっかりつかんでおく必要があります。物を売る人たちと物を作る人間との連携が今ほど求められる時はないんじゃないですか。
 
   
  昭和52年8月1日  “伝統”  
 
                    発行者  京都伝統産業青年会 会長 米澤正文
                  編集者  広報委員会

 
 
原点にもどって 会長 米澤正文
 
   
     5月の総会において、仏具工部青年会所属の不肖私が6代目会長を務めさせて頂くことになり、責任の重大さを我が身に感じる今日この頃です。当青年会も発足以来14年目を迎えました。13年間の歩みを振り返りますと、昭和38年頃まで伝産業界は“斜陽産業や滅びゆく産業”と言われておりました。京都府美術工芸課のご斡旋により、各業界の若者が語り合う場として「京都伝統産業懇話会」が発足されました。当時、業種や名前、顔も判らなかった各青年会及び会員を5年間にわたり一つにまとめて下さった初代会長前原氏(美協)、その後を受けられた前田氏(陶磁器)は、「若者の力の結集」をテーマに第1回京都伝統産業総合展」を開催されました。私はこの総合展において、滅びゆく産業ではなくて、発展していく新しい産業が青年会の団結・和で造られていくのだという、大きな希望と勇気を与えられました。
3代目野淵氏(帯地)は、京都の中に閉じこもらず国内はもとより海外に目を向けるべきだとし、欧州の工芸を視察(海外研修)され、我々に大きく視野を広め、また、京都の良さを知らせて下さいました。4代目会長山田氏(造園)は、青年会結成10周年記念事業として「未来へつなぐ手と心」をテーマに、第2回総合展を成功裡に終えられました。小川前会長(金工)は、多年の夢である「全国青年連合会」結成への足掛かりとして、全国青年伝統工芸展を開催されました。このように輝かしい歴史を持つ青年会に発展を遂げてまいりました。これも加盟34青年会の一致団結の力とともに、京都府、京都市、親組合、京都信用金庫様始め、各界の皆々様の京都伝統産業を愛し、守り育てようとの暖かいご指導、ご援助の賜であったと思われます。
 
 
しかしながら、対外的には大きく発展してまいりましたものの、目を内に向けると13年間の無理が出て来ているのではないでしょうか。会員や単位青年会は伝産青年会の役員にメリットを求めるのではなく、青年会は人間練成の場であるとの認識に立ち、各事業、行事、会合に参加して「今何を為すべきか」を一人一人が明らかにする時ではないでしょうか。「過去と現状をふまえて、一事業ごとにきめこまかな心配りをし、会の運営に当たりたい」と決意をあらたにしております。本年度の役員諸兄は、立派な活動をされております単位青年会及びブロックより推薦された方々であります。どうかお互い信じる心で見守って頂きたいと願います。
 
  そして、喜び苦しみを身体で受け止めたならば、そこには和合(組織)が確立されることと確信いたしております。最後に、立派な諸先輩に見守られ、青年会によって育てて頂いた身の幸せをお礼申し上げますと共に、この喜びを心のかてとして青年会の発展のために微力ではありますが一生懸命に頑張る所存でございます。どうか宜しくお願い申し上げます。  
   
 
 昭和52年8月27日  仏壇・仏具の工場アパート
業界の若い技術者集団
 
  読売新聞   
 
 
 
 
昭和52年8月30日
4−1階へ流れ作業 集団移転に踏み切る
  朝日新聞   毎日新聞   
 
 
 
   
 
昭和52年9月3日 

  商いより技術重視

   日本工業新聞  
 
   
 
昭和52年11月22日 京都新聞
 
                講座で会員の「足腰」を強化    京都伝統産業青年会長  米澤 正文  
   
 
  派手なお祭り騒ぎより、地道でも内部の組織固めをーとの公約をかかげ、今年春、京都伝統産業青年会の会長に就任した米澤さん。さっそく夏から相次いで技術者養成講座と一般教養講座を定期的に開くなど、会員1500人の足腰を強化するための企画事業かいさいに乗り出した。
 技術講座はいまのところイラスト、日本画、洋画の三クラスで週3回の開催、もう一つの教養講座は隔月に1回、京都在住の外国人講師を招き、世界の目からみた日本の伝統について語ってもらうといった企画、会員のほか一般市民の参加も自由で、なかなかの評判だ。米澤さんは「どちらも岡崎の伝統産業会館で開いているところに意義があると思いますねん」と強調する。
 
     京都に全国でも初めての伝産会館が誕生してまる1年。PR不足もあってその存在が一般にあまり知られていないだけに、「もっと業界の人間が活用して、この会館を伝統産業振興の拠点にしなくては」というのがこの人の主張。「来年はWCCも京都で開かれる。若いもんが中心になって伝産会館にもっと活気を」と意気込んでいる。  
   
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